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60数年ぶり留萌

2024/6/26


北海道留萌(るもい)市。と言っても、知らない人が多いと思う。道北の、日本海に面した街だ。
今年1月、大荒れの暴風雪でホワイトアウト状態になり、全国ニュースにもなった。

その留萌市で僕は中1〜2の、2年間暮らしている。64〜65年も前のことだ。
国鉄職員だった父の転勤に、すぐ下の妹といっしょについて行ったのだ。
わずか2年だったが貴重な体験をいっぱいすることができ、
生まれ育った旭川以外を知らなかった僕に新しい世界を見せてくれた。


その留萌に、以前から是非行ってみたいと思っていたが、なかなか叶わなかった。
今回、札幌の義姉の葬儀後にチャンスがめぐってきた。
札幌から高速バスに乗り2時間15分で行ける。

おかげさまで、懐かしの留萌をようやく訪ねることができました。
義姉さんに、その点でも感謝です。
ありがとうございました。

7/12 たっちゃん



10:18 元川町のバス停を下りて間もなく。栄萌橋から留萌川の下流方面を望む。この後、堤防を歩いて旧留萌駅跡に向かった.。
流れはとても穏やかで、堤防もよく整備され、河川管理が行き届いているよう。
それというのも留萌川は過去に度々氾濫したからだ。特に1988年(昭和63年)8月の大洪水は甚大な被害だったという。
300mmを超える記録的な豪雨により、市街地は茶色の海と化した。





10:37 昨年3月末までJR留萌線が走っていた。
60数年前はこんなに立派な鉄橋ではなかったように思うが…
10:39 この鉄橋を歩いて渡り、左手の山に登ったり、斜面で冬はスキーをして遊んだ
鉄橋を歩くことは、昔は当たり前で、危険なこととは思われていなかった



10:42 10:42 空き地はどこも花でいっぱいだ



10:43 向こうに小さく白く見えるのが旧留萌駅の跨線橋。昔は線路がもっとたくさん、何本もあった。
右手は地面がかさ上げされていると思う。昔、右手に船場町の国鉄宿舎があり、中2のとき住んでいた。
中1のときは、左手、駅前近くの栄町だった



10:57 建物や通りは変っても、山の形は変わらない。ただし、昔はほとんどはげ山(草地)で樹木は生えていなかった。
いま、国土地理院の地図で確かめると名もない、真ん中の山の標高は171mだ。
昔、東京から大学生の従兄が北海道旅行で遊びに来たとき案内した




11:00 旧留萌駅舎。昔は平屋の木造駅舎で、こんなに立派ではなかった。
でも、留萌駅は留萌線が増毛まであったし、羽幌線もあって活気にあふれていた



11:01 駅前の掲示板にあった留萌市の観光案内略図。この後、観光案内所に立ち寄り、椅子で休みながら、
留萌時代からの友人S君(仙台市在住)に、「いま、来ている! 懐かしの鉄橋も見てきた」と電話報告をした



少し街中を歩き、留萌信金本店前で電話して、タクシーを呼ぶ。
黄金岬まで1200円だった


12:16 ハマナス



12:17 自然は変わらない。黄金岬の岩礁はまったく昔のままだった。僕はここで初めて岩浜のすばらしさを知ったように思う。
砂浜とちがって、海中がとてもきれいで、目を見張ったものだ。ウニ(留萌ではバフンウニのことを浜言葉でガンゼと言った)をいっぱい採った。
昔は禁漁区でも、とがめられることはなかった



ひとつ上の12:17の写真中央やや左をズームしている。
中2になって、向こうの岩場まで泳ぎ渡れるようになった
外海のため、好天でも凪になることはまずなく、結構スリリングだった
岩場から少しカメラを向けただけでも、海中のきれいさがわかる



12:30 岬の岩場から陸地側を撮る。上は「海のふるさと館」。
タクシー運転手のススメもあり、下の「岬食堂」で昼食をとった。
僕は「60数年ぶり」と述べてきたが、この黄金岬については59年ぶりだ。
先のS君のお世話で、大学1年の夏休みに、ここでキャンプを楽しんでいる。
食堂のおかみさんによると店を開いて58年だという。おかみさんのお母さんが始めたそうだ。
58年と59年、話がえらく盛り上がった。観光案内所では分からなかったこともわかった
12:59 
岬ラーメン、1200円。 美味かった!

ホタテ、つぶ、わかめ、そして大きなエビだ



13:35 「海のふるさと館」で、作曲家・佐藤勝(1928〜1999)の特別展示をしていた。
「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」などの黒澤明作品をはじめ、
300もの映画音楽を作ったのが留萌出身のこの人だという。知らなかった。
黄金岬に「若者たち」の歌碑があったのも、佐藤勝さんの功績を讃えてのことだ
13:44 「海のふるさと館」内に掲示されていたポスター。
「約束だべや」。「だべや」は北海道弁です



13:45 「海のふるさと館」から見下ろす黄金岬の一部 14:06 黄金岬は「日本の夕陽百選」に選ばれている



14:13 ハローワーク留萌などの合同庁舎前もタンポポモドキがいっぱい



14:31 国道231号の登り坂を向こうから下ってきて、ふりかえる。
左手は北洋銀行留萌支店。かつては活気あふれる通りだったと思うけど…



15:06 留萌市立図書館。Googleマップで調べると「海のふるさと館」から2.7q。
およそ1時間かかっているので、かなりゆっくりと歩いてきたことになる。
岬食堂のおかみさんの話から、60数年前僕が通った留萌中は、移転していることがわかった。
妹の東光小もそうだった。場所が変わっているところに行ってもしようもない。
図書館なら何か知れるかもと思って入った



親切な司書の方がいろいろな資料を見せてくれた。
この写真は妹が通っていた木造の東光小だ。僕らがいたのは1959.4〜1961.3で、
ここまでおんぼろではなかった印象があるが、校舎の形は確かに見覚えがある。



留萌市街地を歩いて、ウィークデーだったとはいえ人通りが非常に少ない。
道幅は広くなり、住宅はこざっぱりときれいになっても、街にかってのような活気が感じられない。
留萌市の人口のピークは1967年、42,469人だった。それが今年5/31の統計では18,398人になっている。
半分以下の43.3%にまで落ち込んでいるのだから仕方のないことかもしれない。
しかも、それはきっとそのようだろうと推測できたことだった。が、見せていただいた資料に心底驚いたデータがあった。
留萌市の子どもの数の減りようが僕の推測をはるかに超えていた。上の棒グラフのカラーのところを合計して比較してみたい。
昭和30年・1955年の児童数4,482人が令和2年・2020年には 773人、なんと17.2%にまで減っているのだ。
令和2年・2020年から4年経過した今年はさらに減っている。例えば東光小のHPを見ると5/1の在籍者数は202人だ。
252人から、50人も、20%減だ。このままでよいはずがない……



16:49 市立図書館前の植え込み。ナナカマドが一部紅葉している



17:31 国道をバス停に向かう



17:43 バス停近くのオオイタドリ。成長たくましく、歩道にまであふれ出すよう



17:53
高速バスのバス会社はこれ(沿岸バス)だけではないが、
これが一番早い。札幌行き最終は18:00発、20:15着だ




留萌市のこの日の最高気温は、16.8度。
低めだが、6月とはいえ、北海道だ。ちょっと寒い日があってもおかしくない。
ただし、この日は写真でご覧の通りの好天に恵まれて寒くはなく、
さわやかな気候で、とても気持ちよかった。




ここまで、ご覧くださって、ありがとうございました。




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初出:2024.7.12   最終更新: 2024.7.28
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