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「鹿児島子ども研究センター研究報告」第7号(1992年)9〜28ぺ、


教育における“子ども主権”を
“たのしい授業”でつらぬく思想と方法

-- 大学生の仮説実験授業・たのしい授業についての評価と感想 --


 本稿のタイトルは、次にある拙文のタイトルと同じものです。
拙文は、新たに、国土社から現代教育101選・23として、2年前、1990年9月に刊行された板倉聖宣著『未来の科学教育』(初版1966年)の推薦文の原稿です。


 出版社の統一した編集方針だったのでしょうか。
101選シリーズの他の本の推薦文と同じように、原著書名をそのまま使って、小生の場合ですと、タイトルは、“『未来の科学教育』のすすめ”と改められました。


 また、原稿字数が少しオーバーしていましたので、アンダーラインの箇所は削除されました。


 しかし、「教育における“子ども主権”を“たのしい授業”でつらぬく」という、このタイトル、自分としてはなかなか気に入っています。


 板倉さんが提唱し、着実に成果を上げてきている仮説実験授業の特徴を端的に言い表したものの一つではないかと思っています。


 原稿だけで消え去ってしまうことはさびしいことですし、どこかに残して置きたいという思いがありましたので、本稿のタイトルとして使わせていただく次第です。



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教育における“子ども主権”を“たのしい授業”でつらぬく思想と方法


 大学の教養課程で10数年、教育学の授業を担当してきています。 


 本書『未来の科学教育』について、レポートを提出する学生は、「とにかく子どもたちがいきいきしている。それにとても楽しそうだ。


 こんな授業だったら、ぽくも(私も)受けたかった。」と感想を書いてきます。
私は授業のなかでも、本書の主題になっている仮説実験授業を紹介し、また実際にいくつかの「問題」について「予想」をたててもらっています。


 たとえば、本書128ページの木ぎれを水に浮かした問題は、多くの大学生をとまどわせます。
正当率は低く、文系で約30パーセント、理科系でも約60パーセントといったところです。


 167ページの赤ちゃんがミルクを飲んだ後の体重の問題は、岩波映画制作所のビデオ「ものとその重さ」を使用し、考えてもらっています。


「体重50kgの人が、1kgのものを食べた後の体重は?」という間題です。


 ビデ才では5つの予想が選択肢で示され、「あなたはどれを選びますか? ここで映画をとめて自分の答えをきめてください。


 そしてなぜそう思うのか、自分の答えの理由を発表しあい、自分と意見の違う人と言い負かしっこしてください。」とナレーションが入ります。


 そのとき、「イイマカシッコ」という表現がおもしろいのか、教室じゆう、どっと笑いの渦につつまれます。


 大学では、なかなか討論にまでは発展しませんが(300人を超えるマスプロ授業だということもあります)、約7〜8割方が予想をまちがえても、みんなとても楽しそうです。


 ビデオは最後に「重さの法則は、私たち生きている人間のからだにもあてはまります」としめくくって終わりますが、みんな感心しきった顔つきです。
(ダイエット作戦中の女子学生には「これからはもっと気をつけなければ・・・」とのオマケもつきます)


 仮説実験授業については、私の場合は、まだレパートリーも少なく、授業でとりあげている「授業書」等は、他に『磁石』『ばねと力』『月と太陽と地球』など、そして最近のものでは『自由電子が見えたなら』『世界の国旗』ですが、いずれもたいへん好評です。


 「大学生であるわれわれでさえ、これほど引きつけられるくらいだから、子どもたちの場合はどれほどかわからない。」といった感想文がたくさんよせられます。


 さて仮説実験授業は、どうして子どもたちを引きつけることができるのでしょうか。


 本書で板倉聖宣さんは、この授業のもりあがりの秘密として、予想をたてることのおもしろさ、考えるに値するような問題のおもしろさとならんで、この授業では一切のおしつけが排除されていることをあげています。


 一般的に「教育にオシツケはよくない」と考えている人は大勢います。
早い話、子どもたちにことこまかな「きまり」をおしつけている、こんにちの管理的な学校のありように批判的な教師も少なくありません。


しかし、そうした教師も授業のなかでは、「教えようと力んだり、討論のかじをとろうとしたりして、意識的、無意識的にオシツケをしてしまう」場合がほとんどです。


 仮説実験授業は、そうではありません。
子どもは発言を強制されないこと。また何をいってもよいし、何もいわなくてもよいこと、など。


 板倉さんは、それらは子どもの権利であり、教育の主権は子どもにあって、教師にはないからだともいっています(『仮説実験授業のABC』仮説社、1977年初版、など参照)。


 私は、これまで教育行財政や教育法(法律の法です)の分野を専攻してきて、近年では「校則」や「体罰」「内申書」の問題など、「子どもの人権」にかかわる間題に関心をよせています。


 「教育や学校の主人公は子どもたちである」。
この当然の「思想」は、もちろん以前からありました。


 しかし、そのことを教育内容や方法にまで具体化する仕事をこれまでの教育学は怠ってきました。


教育における“子ども主権”の思想を、授業という、子どもたちの学校生活のもっとも中心的なところで具体化したものは、仮説実験授業がはじめてであるといってよいと思います。


 また、“たのしい授業”も、仮説実験授業が提唱される以前は、それが「願い」であっても、「思想」や「方法」といったものにはなっていませんでした。


 科学は、すべての事柄を一挙に解決しようとはしません。
また、だれにでも納得できるもの、それが科学です。


 仮説実験授業では、「そこに印刷されている指示そのままにしたがって授業をすすめれば、誰でも一定の成果を得られるように作られている」授業書を用います。


 この「授業書」を一つひとつ着実に作りあげていって、だれもがその気になれば“たのしい授業”をおこなうことができるようになってきました。


 その意味で仮説実験授業は、はじめて教育学を科学として確立していく道すじを示したものということができます。


 学生や教師そして市民のみなさんが、本書『未来の科学教育』をはじめとして仮説実験授業関係の本をどんどんお読みになることをおすすめします。


 おもしろく、読みやすい本ばかりです。かく言う、私にも読み残しがかなりあり、明日がとても楽しみです。



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 さて、小生が意識的に仮説実験授業を大学でおこなうようになってから数年、レパートリーもだんだん広がってきました。


 そのおおよそのところは、仮説社の『たのしい授業』No.101・1991年3月臨時増刊号『たのしい授業ハンドブック』に「仮説実験授業と教育学」と題して紹介させていただいています(170〜182ページ)。


 その後、昨年度後期には、「教育学I」(2単位、教職課程の授業科目・教育の本質及び目標に関する科目〔教育職員免許法の改正にともなって、旧「教育原理」の名称や単位数も変わった〕)のなかで、はじめて5・4・3・2・1で、小生がおこなった各仮説実験授業の評価もきいたりしています。


 以下は、受講学生の評価と感想です。
 各授業で取り扱った授業書の範囲などの簡単な説明(〔 〕書きの部分)を別にすると、後日、すべて学生にプリント配付したものです。ひとつの授業記録として、ご覧いただければ幸いです。


〔昨年度後期の受講届けは、理・農・水産・法文学部の学生250数人。
実受講者は、90数人から140数人。10月30日開講。授業の趣旨説明と「空気の重さ」(岩波映画製作所のビデオを使用)。


 評価と感想をきいたのは、以下の通り、11月6日からの8週・8回分。
 はじめの3つまでは、教養部の「教育学」のなかでもやったものなので、教養時代に受けた人は、再度受ける必要はないと開講時にガイダンスをした。よって4つ目以降、受講者が増える。〕



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このHPでは、以下は略しますが、続いて「自由電子が見えたなら」「世界の国旗」「月の満ち欠け」「光と虫めがね」「生類憐れみの令」「ものとその電気」「おかねと社会」「詩・国語の授業」の計8つの授業についての学生の5段階評価(楽しさの度合い)と感想文をB5・18ページにわたって掲載しています。


 他に、B4・2枚の写真(講義室の黒板を中心に掲示した「世界の国旗」と「おかねと社会」のパネル)も綴じ込んでいます。


ご覧になりたい方は、抜き刷りの残部がありますので、ご連絡ください。




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Last updated: 2003.9.14
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