TOPページ → 山(花)・旅 目次 → 浜離宮・東京水上バスほか
40度を超え記録を更新したり、38度や39度は当たり前のように続いたり、 鹿児島はそこまでではないが、いま日本列島は猛烈な暑さのなかだ。 豪雨被災地のみなさんはさぞ大変なことでしょう。 お見舞い申し上げます。 さて当方は幸せにも平穏無事な日々だ。この日常には深く感謝しないといけない。 あまりにも幸せでボーッとしてきたか(もともとボーッとした人間がいっそう)。 6月初旬の小旅行の写真をひと月半もたってアップするありさまだ。 ご覧いただけますとうれしいです。 7/24 たっちゃん |
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6/8 午後3時半すぎ。JR浜松町駅からだと15分弱か。浜離宮庭園 |
「潮入の池」。ビル群のなかにここだけは静寂が |
「中島の御茶屋」でいただいた | 「三百年の松」 |
翌9日午前、お台場から行動開始。パレットタウンの大観覧車。 最高点115m。日本最大級!といっても 外枠のガラス(プラスチックかな)が傷んだり、かすれていて きれいに見えなかった。 |
南極観測船、初代・宗谷(1957〜62) 全長82.3m。やっぱりそう大きくはなかった。 宗谷を助けたソ連のオビ号は全長140m。 |
いまネット検索すると「1957/1/24 オングル島プリンスハラルド海岸に接岸。 2/15 越冬隊員に見送られ離岸。翌日悪天候で氷に閉じ込められる。 2/28 天候回復、砕氷再開。救援のソ連砕氷船オビ号の航跡を追い、 外洋へ脱出」などといった記事。小4だった当時の記憶がよみがえる |
12:29 レインボーブリッジをバックに |
12:49 東京水辺ラインでお台場を離れる |
12:53 水産埠頭に、北大水産学部の練習船「おしょろ丸」が停泊していた |
12:57 浜離宮に海から。左手奥は東京タワー |
13:06 勝鬨橋。中央部の跳ね上げの最後は1970年11月29日だとか。動かなくなって半世紀近く |
13:17 緑地は石川島公園。石川島は日本の近代的造船業の発祥地。 どのビルかな、1Fに、「石川島資料館」があるという |
13:26 永代橋と東京スカイツリー |
13:50 アサヒグループ本社ビルに映る東京スカイツリー | 13:53 墨田区役所横の勝海舟像。建立が2003年とは超遅い。 勝への注目度が低いのは、残念ではないか |
15:09 浅草寺(せんそうじ)となりの浅草(あさくさ)神社 かつてはいっしょ(神仏習合)。明治の神仏分離で別々に |
16:38 この日はもう一箇所、「清澄(きよすみ)庭園」(江東区)へ。どこそこの下屋敷跡など3万坪を購入し、岩崎彌太郎が 明治13年(1880年)に「深川親睦園」として竣工。昭和7年(1932年)から清澄庭園として一般公開されるように。 |
隅田川の水を引いた大泉水(いまは雨水でまかなっているとか)と全国から取り寄せた名石を配した、回遊式林泉庭園。 「磯渡り」の石というか岩の上で、幸せだ |
写真は伊豆石。 他に生駒石、伊予青石、備中御影石、佐渡赤玉石… |
「古池や かはづ飛び込む 水の音」 芭蕉の句碑。 北北西約400mのところに芭蕉庵跡がある。「古池や」は貞享3年(1686年)芭蕉庵で詠まれた。 この句碑は昭和9年(1934年)に建てられたものだが、芭蕉庵改修の際に敷地が狭いということで、この地に移された。 |
夜は銀座でフレンチ。 トモちゃんがネットでいい店を見つけた。 |
さて終わりに、空からの写真を6枚。 | ||||
6/5 10:22 伊豆半島の向こうに富士山。その富士山から真下のほうに下りてきて、入り江のところが下田港。 |
ひとつうえの写真の10分後。 6/5 10:32 富士山は小さく左上。東京湾の入口あたり 中央上から3分の1のところに右手から伸びてきているのは三浦半島。手前は南房総、館山湾の船形漁港。 |
これから3枚は 6/8 13:09 同時刻の秒違い。 羽田空港(B滑走路)に降りていく旅客機を真横から望遠で撮る(こちらはD滑走路だと思う) |
13:09 旅客機は東京スカイツリーのてっぺんだ |
13:09 ガスってなかったら、とてもいい写真だった(でもボーッとしているのもいいか) |
6/11 15:13 真綿に包まれたような富士山 |
初出:2018.7.24 最終更新: 2018.7.25
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