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ポルトガル・スペインの旅(前半)


2011/11/4~


2005年6月のオーストリア以来だ。僕の急性心筋梗塞・心臓バイパス手術はその年の秋だった。海外旅行は6年ぶりだ。
ありがたいものだ。とても元気になり、山登りにどんどん出かけられるようになった。でも、今年5月の連休に、トモちゃんが
四国の東赤石山で左膝をけがして、その後山にはあまり出かけられなかった。ちょっとさびしかった。が、楽しみは山だけ
ではないはずだ。で、久しぶりに海外に行ってみようか・・・となった。

昨年Kさん夫妻がスペインに行って「とてもよかった」と聞いていたので、僕らも「それに決まり!」と思った(単純)。
けど、同じ企画が今年はなかった。探してみるとポルトガルとセットになったのがあった。僕の場合は大学祭期間と
重なっていて、メインの大人数授業は一度も休講にしないですむ。これに決めた。
11月4日成田発、13日成田着「ルックJTB スペイン・ポルトガル ハイライト10」だ。

ツアーメンバーは計18人。夫婦7組、兄妹、母娘の計9組、みなさん、気持ち良い方だった。
金婚式を迎えられたWさんご夫妻、いつも笑顔を絶やさないTKさんご夫妻、すでに百どころではない二百名山踏破・
山のベテランMさんご夫妻、英語がお得意、やはり大手術をされたYさんご夫妻、奥様の北海道弁が懐かしい長身・
一眼レフの I さんご夫妻、東京は浅草、若く行動的なTGさんご夫妻、スペインは2度目・お酒が強く優しいKさんご兄妹、
ファッションも素敵、きれいなOさん親子。

みなさんのおかげで、6年ぶりの海外旅行をとても気持ちよく存分に楽しむことができました。
ありがとうございました。トモちゃんともども、記してお礼を申し上げます。

「スペイン・ポルトガル ハイライト10」。つまり10日間だけど、向こうはリスボン2泊、セビリア・グラナダ各1泊、マドリード・
バルセロナ各2泊の計8泊。到着日と出発日を別にして、現地での観光は7日間。そのちょうど半分、3日間と半日分を
まず紹介します。

ポルトガルのリスボン近郊とエヴォラ、スペインはセビリアとグラナダまでです。
お待たせしました。では、百十余枚の写真をお楽しみください。

2011/11/23 たっちゃん記

 
↑ 11/4 11:55 成田 発. KLM862便。飛び立って3時間弱。
シベリヤ手前。後で地図で確かめるとそう高くはないけど山脈がある。


   ↑ 左の写真から約30分後の航跡


     
↑ 飛び立っておよそ7時間半。モニターを見ると「Kara Sea」とあった。
「カラ海」だ。要は北極海の一部。オビ川かどこかからの流氷か?


  ↑ 成田から11時間30分かけて、オランダ・アムステルダムの
スキポール空港着。写真は着後約1時間。現地時刻は夕方の
4時半。時差8時間、日本は日付が変わって、深夜0時半。




 
 









↑ リスボンへの乗り継ぎが良くなく、スキポール空港で5時間ほど
時間つぶし。ミッフィー(うさこちゃん)の作者はオランダ人だった。


  ↑ この時計は正確、いま夕方5時前。
添乗員さんからヨーロッパの時計は
「いい加減」と聞いたので、時間つぶしに
早速チェック!
  ↑ 左の時計を反対側から見ると
なんと10時前ではないか(笑)
それとも、分針は同じだから、
時差5時間
(あるいは7時間)の他都市の時刻を
わざわざ表示!
(そんなことないね)
 





 
 
↑ 空港内には、アムステルダム国立博物館(」美術館)の
スキポール分館(PR館)があった。 
   ↑ ガラスケース越しだったけど、おかげで
レンブラントの絵も見られ、このように写真も撮れた



  アムステルダムからリスボンへは3時間。リスボンの時差はさらに1時間、日本のマイナス9時間。
ポルトガル時間ではぎりぎり11月4日のうちに着いたが、日本時間ではすでに5日朝9時前である。
成田のホテル出発からちょうど24時間である。一昼夜寝ていないようなものだから、時差ボケを通り越している。
リスボン時間5日の午前様(僕は2時半くらいだったか)就寝。

以下、もちろん現地の日時で紹介します。
 



11/5 リスボン・シントラ・ロカ岬


                                                                                      


 ↑ 9:00にホテルを出発。まずはリスボン市内の名所見学。ベレンの塔。
大航海時代、航海者を温かく送り迎えた。
  ↑ 発見のモニュメント。エンリケ航海王子の没後500年の1960年に
建てられた偉人像。僕らになじみの、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、 
フランシスコ・ザビエルもこの中にいる。

↑ モニュメント前の広場に描かれた大理石作りの世界地図の上で
現地ガイドの説明を聞く。 
  ↑ 日本はたしかに「極東」だ。 







↑ ジェロニモス修道院前。なかにサンタ・マリア教会があり、
入った両脇にヴァスコ・ダ・ガマとカモンイス(後述)の石棺があった。
  ↑ 回廊(55m四方)から中庭を見る







 

↑ ロシオ広場のすぐ東となり、フィゲイラ広場。近くの菓子店で、とっても甘く美味しいスイーツを
食べた。「日本でもこんなのがあったら大ヒットするだろうな」と思った。カステラやボーロなど日本
でなじみのお菓子の故郷だ。元祖「金平糖」の「コンフェイト・コン・ビコシュ」とは出会えなかった。
  ↑ 何十畳もあると思われるポルトガル国旗。 


 



↑ 昼食後リスボンの北西約30㎞、シントラへ。かつて夏の避暑地とし王侯貴族に愛され、
英国詩人バイロンが“エデンの園”と讃えた街。写真は王宮に入りかけたところ。
  ↑ 左の写真、標高450mの山頂に7~8世紀に
ムーア人が築いた城塞跡が見える。 

 ↑ 王宮は14世紀に建てられた夏の離宮。1584年天正遣欧使節が訪れたこともあって、
シントラと長崎県大村市は1997年から姉妹都市。「紋章の間」の天井の美しさに圧倒される。

 
↑ 狩猟の光景を描いた青と白の彩色タイルもすばらしい。
彩色タイルはアズレージョと言って、内壁、外壁を問わないポルトガル伝統の装飾用

(室温管理の機能も)
↑ 別の部屋にはトウモロコシを描いたものがあった。
新大陸との交易も盛んだった証明だ。


   



 



↑ ガリレオ・ガリレイの肖像画。 
若い頃を描いたものは珍しいとか
  ↑ どの部屋かの天井に描かれていた。
赤字に白抜きの三日月。イスラムの船だ。 
  ↑ こちらはオランダの船だ。
やはり交易が盛んだったのだ。
 


↑ シントラから西へ少し行くとロカ岬。ユーラシア大陸最西端だ! 風が強かった! 





ポルトガル文学史上一番の詩人と称されるカモンイス(1524~1580)の言葉 
「ここに地終わり、海始まる」が記されている。
   
     

 








← やはりカソリックの国。塔が十字架を
いただいているのは当たり前か。
     



↑ → 2枚はYさんの提供。いやはや驚きました。
この日の夜、右のお三方はポルトガルの民俗歌謡
「ファド」を聞きに出かけ、
午前様のお帰りでした。翌朝聞くと「素晴らしかった!」とのこと
お三方の気力・体力こそ素晴らしい!!
 
     



  11/6 リスボンからエヴォラへ   






 
 
 ↑ 7:15 日の出。ホテルの部屋から。今日は朝から好天だ!     ↑ リスボンは坂の多い街。名物のケーブルカーやトラムをカメラにおさめたかったが
   かなわなかった。
代わりに車窓から水道橋の写真を


 
   ↑ 今は使われていず、歴史的建造物として保存され、上は遊歩道になっている。
     地下にもぐっているところも含めると全長18㎞にもなるという。

    18世紀のポルトガルの技術の粋を集め造られた。
   ↑ 水道橋の下をくぐる。一番高いところは65mもあって、
    世界で最も高い石造アーチだという。 


↑ 全長17.2㎞、ヨーロッパで一番長い橋、ヴァスコ・ダ・ガマ橋。 ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見500周年を記念して1998年に開通。
テージョ川(Tejo)の河口部に架けられている。川というよりも海だね。この川、スペインではタホ川(Tajo)と名前が変わる。
後半のほうで紹介する5日目午後の観光地、トレドも流れている全長1008㎞、イベリア半島で最も長い。

 
↑ コルクの生産はポルトガルが世界の65パーセントという。
コルクはコルクガシの木の表皮から作られる。
エヴォラに向かう途中、コルクガシの林(畑)が広がっていた。

↑ 表皮を剥いで、次の成長まで8年かかるということで、
採取した年が幹に数字で記されていた。
この2枚はドライブイン横で撮ったもの。



 
↑ リスボンから東に約130km、今の人口は5万5千人ほどなので、大きな都市ではないが、大変歴史のある城塞に囲まれた街・エヴォラにやってきた。バスを降りるとスズカケノキ(プラタナス)の下だった。枯れかけた葉の間から、青空をバックに、まるで鈴でもかけたかのように実が垂れ下がっている。幹が灰色・緑褐色のまだら模様で、今回の旅行で一番目立った街路樹だ。いままで名前だけ聞いていたが、今回初めてプラタナスを意識した。そういえば、昔、札幌の北大植物園で見た覚えがある。

↑ 公園にヴァスコ・ダ・ガマの像があった。 


 

↑ ポルトガル人の魚好きは有名で、一人当たり魚介消費量はEU諸国一という。
タラになると世界一。写真のように干しダラが山盛り.9.8ユーロ(約千円)とは安い!


← 市場を通り抜ける。果物の大きさはこれが自然なのか、不揃い!だ

 


 
↑ 1510年に建てられたサン・フランシスコ教会前。
この教会は隣に5000体以上の人骨が天井や壁、柱を覆い尽くす「人骨堂」があって有名。
トモちゃんは怖がって入ろうともしないし、写真も絶対に撮ってくるなと言う。

入ると大変な迫力! 「われら(骨ども)はあなたのお越しをお待ちしています」。
確かに! なかなかのユーモアだとも思う。
↑ 教会内のステンドグラス。
これはぐっと新しいものなんでしょう。 

 

   
  ↑ ジラルド広場    ↑  真ん中の段はすべてコルクの民芸品  




 


 



 
 ↑ バッグもコルク   ↑ 絵葉書も    ↑ 1204年に本堂が完成したというカテドラル正面 

 


 


ガイドブックではたいがい、天正遣欧少年使節団が
左の「パイプオルガンを演奏し、腕前を披露した」となっているが、
カテドラル内の上の説明文では「演奏を聴きました」だ

どっちでもいいか。

   
   
↑ ステンドグラス これは「夜明けの明星」だと思う 

  ↑ 2~3世紀、ローマ人による建造。コリント様式のディアナ神殿


 

↑ 市街地を望む


白い壁に、黄色い縁取り →
   
     


エヴォラ観光の後、約260kmバスを走らせて、セビリアのホテルへ



11/7 セビリア・コルトバ


   セビリア(SEVILLA)はセビージャやセビーリャの表記のほうが実際に近いらしいが、ここでは昔のままでお許しを  




スペイン広場近くでバスを降りるとかっこいいお兄さんとお姉さんが待っていて、いっしょについてくる。写真屋さんだった。
僕のスキャンがあまく、実際はもっといい写真だ。今回のツアーで、みんなが写っている唯一の写真。
7ユーロのところを6ユーロまでまけてもらった。思い出の一枚になりそう。左端前列が現地スペイン人ガイドの方。
後列が添乗員のYNさん。知識や経験だけでなく、気配りも行き届いた素晴らしい添乗員さんだ。

スペイン広場は1929年の博覧会のときに造られた。
170mの半円形で両サイド(左手と同じのが写っていないが右手にもある)の塔の高さは80mもある。 

     



 


↑ これはコルドバだか、
スペイン各地方のエピソードを描いたタイル画が飾られていた。

 
         

 

 ↑ 幾何学模様の壁面タイル。
幾何学模様をはじめとする反復リズムは、
イスラム芸術において神の無限の世界観を表現する手法の一つ


 
   
      スペイン広場を離れて、サンタ・クルス地区に向かう。
 ↑ 上の写真はでっかなゴムの木。
 






 

↑ アカンサス(ハアザミ)    ↑ 植物や花がいっぱいの中庭(パティオ)    ↑壁面に「JUDERIA」とある。ユダヤ人居住区だった。 

     






 
  ↑ カテドラル(大聖堂)とヒラルダの塔
塔の高さは94m(ガイドブックによっては96mまた98m)。
イスラム時代は礼拝の呼びかけをする 
ミナレット(モスクに付属する高い塔、尖塔)だった。
  ↑ 塔に登る。下にカテドラルがある。
この写真の遠景を望遠で撮ったのが左下の写真。 
 

 

   
  セビリアは内陸にありながら、グアダルキビール川で世界とつながっていた。 
なんと港湾都市として発展してきた。
   ↑ マエストランサ闘牛場  

セビリアはスペイン第4の都市とても大きい

 
 
 子どもたちといっしょに写真に納まった

 


     
   塔から降りて、カテドラルの見学。主祭壇の黄金がまぶしい      

 

 


  ↑コロンブスの墓。各地を流転したコロンブスの遺骸は、
   彼が新大陸発見後が滞在していたということもあって、
   米西戦争が終結した1899年にキューバのハバナから
   運ばれてきたという。

   

↑ ヴォチカンのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ
世界で3番目の大聖堂の中で、座り込み抗議行動
「教員の人員整理やめろ! 子どもたちの未来もなくなる!」

深刻なスペインの財政危機、政権交代がなっても大変という
日本も他人事ではない
 
         

     

 
 
  ↑ 「オレンジの中庭 」からヒラルダの塔とカテドラルを見上げる   ↑ 昼食に向かう。セビリアに限らない。道の両脇に車がびっしり。
スペイン人の縦列駐車技術には脱帽だ 。
 



昼食後、139kmバス移動、コルドバ



     
  ↑ 右手はイスラム時代の要塞・カラオラの塔。ローマ橋を渡ると左手にメスキータ   

 

メスキータとはスペイン語で「モスク」の意。
幅130m、奥行き180mで、世界最大規模を誇るという。
2万5千人もの信者を収容できた。


右は、その信者たちの祈りの空間だった「円柱の森」。
白と赤の二重のアーチは、
この大モスクの建物の強度も
高めたに違いない。
     
         

   
↑ ガイドブックに「マスクラは高窓から光が差し込む高いドームになっている」とある。    ↑「ミフラブは、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示すくぼみ」
金色のモザイクで飾られている。

   


 
↑ そうした大モスクの中央に、
キリスト教王が1766年に建てた中央礼拝堂。
  ↑ 「花の小道」






 


小さなレストラン、食事をするところなのに
「食べるな!」とは!

   
     

   



 



コルドバにもユダヤ人街があった
     


コルドバ観光後、195kmバスでグラナダへ



11/8 グラナダ アルハンブラ宮殿


   宮殿といってもアルハンブラ宮殿の場合、外観はまったくそれらしくない。
丘の上に立つ城塞だ。
 




 
城内に入ると立派な建物もあった。
↑ これは、ㇾコンキスタ後のカルロス5世宮殿だ。正方形の建物だが・・・
  ↑ 入ってみると、内部は円形の中庭になっていた。 

 

 
 ↑ みんなで「ふるさと」を唱和。 音響効果抜群! 拍手も響き渡った。   ↑ 丘の西側に立つアルカサパ。
レコンキスタに備えて13世紀中ごろに建てられた。「赤い城」と言われる。
 




 

↑ さて、いよいよ王宮(ナスル朝宮殿)だ。けど、外観がまったくそれらしくない
どころか、昔よく目にしたモルタル壁の安アパート
の感さえある
(右手はカルロス5世宮殿)


 
    ↑近づいて撮りなおしても、味はあるが立派とはとても言えない 

 

 

↑ けど、入ると違った! 装飾タイルが素晴らしい
グラナダは「ざくろ」の意なんだって     

     




黄金の間(?)の天井
 ↑ 「メスアールの中庭」のすばらしい装飾壁面    

   
  ↑ 一番有名な「アラヤネスの中庭」  

   

↑ 「大使の間
     

     
↑ 「大使の間」の天井    王宮からの市街地の眺め(北)。右手の山のほうまで城壁が続いている

     
↑ 「二姉妹の間」の天井、立体的な鍾乳石の装飾    ↑ 「ライオンの中庭」。白大理石の列柱が124本。
12頭のライオンの噴水が左手にあるのだが、現在修理中 

 
   
↑ ザクロの実    ↑ 王族の夏の別荘「へネラリフェ庭園」のほうにやってきた。
アルハンブラ宮殿から谷を隔てた丘の上に立つ


     
  ↑ へネラリフェ庭園からのアルハンブラ宮殿の眺め。
後からできた教会とカルロス5世宮殿(一番高いのとその右手)がないとやはり城塞だけの感じだ。
 

   



 
↑ いとすぎ(糸杉、ヒノキ科)の刈り込み
 
  ↑ 「アセキアの中庭 」(庭園の中核)



 

トチノキ →
   
      

 









 
 





 ← 糸杉の散歩道をもどります。




  ここまでご覧くださってありがとうございました。

  この後、旅はラ・マンチャ地方を経て、マドリード、トレド、
  サラゴサ、バルセロナと続きます。

  後半のアップは、12月4日くらいになりそうです。
  しばらくお待ちください。

  「スペインの旅(後半)」はこちら→
  12/5、アップしました。ご覧ください。
  
       

     
     

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最終更新 : 2012.4.26

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