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TOPページ → 教育原理、いじめ、たのしい「生活指導」 → たのしい生活指導・いつも笑顔でにこにこ




 「たのしい生活指導」については、大学の教職関係の授業のなかで、数年前から力を入れて講義してきていますが、未だ論考としてまとめておりません(生徒指導・生活指導の基本的な課題や枠組みについては他の論考にありますが、「たのしい」というところはまだ書いていません。)


今年の夏休みの認定講習「教育学V」(15時間)では、たのしい授業とならんで「たのしい生活指導」の講義に時間をさきました。


そこで、その講習受講者のレポートをご覧いただきますと私の考えもある程度はおわかりいただけるのではないかと思いまして、以下に紹介します。


レポートは、「教育学Vの講義から学んだことを自由に二つ以上の見出し(タイトル)をつけてまとめる」課題に応えてもらったものです。


次の見出しは、教師に心してもらいたい三つのことで、講習中、板書もしました。


基本に「たのしい授業」がなければ、「たのしい生活指導」も、ほんとうのところ、おこなうことができまません。


レポートは、その「たのしい授業」のことについても、多くの受講者がふれていましたが、ここでは「たのしい生活指導」に関する部分を重点的に紹介します。

(2002年11月)




たのしい授業、
たのしい生活指導、
いつも笑顔でにこにこ


 ― 鹿児島県免許法認定講習「教育学V」(2002.8.22〜24)終講レポートより ―



<ないないづくしの生徒指導>


楽しい生徒指導の話は、とても、私の心に響きました。
『何もしないということがたいへんなことをしているということ、しないということが、子どもたちへの1番の信用の証である』“何かすること”、“何かしてあげること”が生徒指導であるように感じていましたが、そうではないのですね。自分は、お節介教師だったと思います。


先生のお話を聞いていると、本当に大切なものは何なのか、今まで忙しさにまけ、見失いそうになっていたものを、また、再確認することができました。


学校 = デパート、生徒あっての商売であるのに、保護者の目、上司の目、同僚の目を気にしすぎて、子どもが本当に求めていることに目を向けず、一方的に押しつけるような教育をしていたように思います。


また、少し肩に力が入りすぎていたようにも思います。たいへんな時、いきづまった時こそ、いろいろなものの見方、考え方をして、何が1番大事なことか原点にかえってみたいと思います。

(たのしかった度合い … 5   ためになった度合い … 5




<サービス業はたいへんだ!!>



わたしたちの仕事って、サービス業なんだな… と思うことが、これまでにもあったような気がします。


単純に子どもに接することだけが教師の仕事かと思って入ったこの世界、いざ勤めてみると山のような(大げさかも…)事務の仕事、かわいいけれど時には困ってしまう子どもの存在、その背後には ご両親はもちろん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして同僚、上司… それはそれは多くの人たちとのつながりがあります。


確かにお客さん(子どもたち)あっての仕事で、その子どもたちへ、できるだけわかる授業を提供したいと思ってがんばって(?)はりきっていたのは何だか昔のことのような気がしています。


今回の講座であらためて授業への工夫、いわゆる教材研究の必要性を感じました。
あの「たのしい授業」が教科書になったらいいのにと思います。


「まねも主体性のうち」とは言え、やはりできること、できないことがあります。
あのような「たのしい授業」なら子どもたちの目を輝かせることができるのだろうなぁ…。


まぁ、わたしはわたしなりにやっていくしかなさそうですので、小原先生の本などを読んで参考にしつつ、ほんとうにまねできそうなところだけはいただいておこうかなと思っています。


内沢先生の今日のお話の中で「いつもニコニコが一番」と言われたのが印象に残りました。ちょっと意味が違うかもしれませんがわたしの中ではサービス業 = 笑顔なんです。


だから、まずはどんなにつらくとも(?)子どもたちのために笑顔でいたいと思いました。そうすることで、子どもたちも安心してくれるんじゃないかな… と思っています。


資料の中にあったような生徒指導ができるように心がけていきたいです。
“まねの限界が独自性”いつかはわたしなりのものができるように…。




<犯罪者にしない、させない、ならないように>


子どもが悪さをした時… 大人が社会で許されない行為は子どもであっても許されないのだというような話をしてきたのですが、それに加えてくどくど… しかも前の悪事や関係のない例まで挙げてやってしまっていたな… と反省。


今回の講義の中では、やたらに感心することと同じぐらい反省がたくさんありました。これから… 話す機会がなければ最高ですが、うちのやんちゃなお子たち… 口も悪いし、手足が出るのもとってもはやいときていますので、“刑法”これを正しい知識として短く、的確に話してやろうと思います。


自分自身、初めて知ることがたくさんでした。やっぱり新しいことを知るということは楽しいものですね。おそらく、これらの刑法の話は4年生といえどもくいついてくるのではないかと思っています。


矛盾していますが、この刑法のこと、子どもたち(わたしも含めて)が日頃、何気なくしている言動にも重い意味があるということを話すのがとても楽しみです。


「長所は反対側の欠点」によって支えられているということも頭に入れて、これからの学校生活(教師生活)やふだんの生活ができればいいなと思っています。


子どもたちと自分自身が楽しくイイ関係で、この一年(残り7ヶ月)を送れるように“うんうん”と笑顔で接することができるようにがんばります。


いろいろと考えるいい機会にもなりました。
3日間お世話になりました。ありがとうございました。

(楽しかった度合い … 5   ためになった度合い … 5)



< 発見!!  人の生き方にも原理・原則がある!>



この見出しは、3日間の講義の中で感じた先生のお話の考え方、人柄等から私自身が感じたことです。



一日目・自由電子:電気を伝える。通す。原理を知り、ますます楽しくなりました。物理を学ぶ時のポイント(原理)というものを、自分のこれまでの勉強の中で気付くことができず、一夜漬け、いきあたりバッタリでなんとか切り抜けてきましたが、最近、物事には、原理や法則があり、それを知る事の楽しさおもしろさや合理性等を感じています。


また、そのように、授業もしてみたい。(が、知識がなくできない。あきらめていましたが、できそうな気がしました。)
先生は、仮説実験授業等を通して学ばれた事が、考え方の随所からあふれ出ていらっしゃいました。


授業のウケをねらっての「たのしい授業」にはしてほしくない。と言われた時の厳しい感じの表情(3日間ではあまり見られませんでしたが…。)で、楽しくそして真剣に取り組まれていることが分かりました。だから、一見「たのしい授業」と聞いて簡単にやれそう。と考えるのは、大きな間違いであることも分かりました。


渥美 清さん(俳優)が、永年、寅さんを演じ私生活まで寅さん化していった。という話を耳にしました。余計な物(自動車、家具…)など持たず、次第に処分していったそうです。


人の生き方には「素」になるものがあるのだとしみじみ感じます。3日間の講座から、内沢先生の生き方の原理・法則が(勝手に、一方的ですが)見えてきました。私も子どもと向き合う時には、その時の感情や立場ではなく、自分の法則(子どもを尊重する)を忘れずに向き合おうと思います。




<椅子や物を投げるな!!>


と、言ったことはありませんが、1学期は(4年生)3人のそのような子どものことで、5kg程やせました。物を投げると人に害をおよぼすので、この行為は、注意していいことですね。


ただ、その行為の素になっている心理については、しっかり耳を傾けなければならないと改めて思いました。しかし、一人の子は、少しだけ心を開いてくれている状態で、いい関係をつくれていません。


2学期の目標は、いい関係をつくることです。
夏休みの終わりにためになる勉強ができました。 ありがとうございます。
不登校の児童のことも、そのままを受け入れてみることからスタートします。


楽しさ(一日目)4 → 5  日に日にアップ

ためになった    4 → 5   バッチリ!        




<学んだ4つのポイントで これからの教師生活、バラ色!?>


この教育学Vで、初めて小原茂巳先生のこと、仮説実験授業のこと、その他様々なことを学びました。


特に“この4つで 子どもたちとちょっぴりイイ関係”は私自身の今後に、とても役立つことだと受け止めました。


@授業延長をしない。分かっちゃいるけどなかなか予定通りに進まなくて、ついついしがちです。子どもの立場から考えると、本当に嫌になることだろう。と改めて思いました。


次の時間に少し、そのしのこした部分から入れば良いことなのに…。 今後、気をつけていきたいと思います。


A急に指名しない。(恥をかかせることはしない。)これもまた、「もし自分が指名されたら…」と考えると青ざめてしまいます。


こんなことを平気でしていたなんて… 「なみだくじ指名」の考え方を読み、その感覚での指名になると、あてられた子どもも随分気楽に答えられる雰囲気になるので使ってみようと思っているところです。


B注意するときはしつこくしない。これについては、私も以前から「しつこく長々とはしない。」と決めていたので、それの理由づけを読み、なおさら、「この方法でいいな」と確信しているところです。


C「大人に失礼かな」と思うことは、子どもにもしない。私自身もなるべく子どもに接するときは「その子その子を尊重しながら…」という意識はあったものの、それほど徹底したものではありませんでした。


このCのことをしっかり頭に入れながら接することで、少しずつでも子どもに対しての(私の今まで気付かなかった)失礼がなくなれば…と思っています。



この4つのポイントと(1)たのしい授業をする (2)子どもの安全を守る (3)いつも笑顔でニコニコ を自分なりに試行錯誤しながら、子どもたちとイイ関係になれるようにがんばりたいと思います。


まだ、いただいたプリント全てに目を通してはいませんが、しっかりと読み、本も買っちゃって、私自身にイイ風を入れ、子どもたちとのイイ関係めざして勉強していきたいと思います。


いろいろなイイ情報を私にくださった内沢先生、ありがとうございました。

教育学Vで学んだこと2つぐらいとあったので、あと1つを書きます。


◎暴行とは… に驚いた!! 「暴行とは」の定義に驚きました。必ずしも力が身体に触れていなくても暴行になるんですね。石を投げて当たらなかった場合、つばを吐きかける場合、耳もとで太鼓のような楽器を乱打した場合も。


このようなことを「知っている」「知らない」で、指導の仕方もかわってくると思います。やはり私は勉強不足。でも、前向きに考えて「今からが勉強する時なのね!!」と思い、いろいろやってみたいと思います。

◎長所 − 短所の考え方も勉強になりました。  ありがとうございました。


たのしかった度合い 4(いすの硬さになれず、暑さにも少しまいってしまい 4の評価でした) ためになった度合い 5



<やっぱり子どもは宝物>


生徒指導の講義をうけながら、これまでの自分を振り返ってみると反省することばかりである。最も頭をガーンと打ちくだかれたのは、こどもとのイイ関係は生徒指導だけは成り立たないという点である。


授業と生活指導…… 子どもの問題行動が驚くほど多い本校に赴任して5年目になるが、いつの間にか生活指導に重点をおいて、授業はとても「たのしい授業」といえるものではなくなりつつある気がする。



子どもの長所にばかり価値を見い出してしまいがちなのだが、“長所と短所は背中合わせ”という言葉の意味をとらえたときに、すべてのものに価値があるのだということを認識できた。


決して否定的な見方をしてはならない。他を害する場合を除いては、子どもたちをもっと広い心で包みこむことが必要なのだと実感した。


子どもも大人と同じ1人の人間であるが、精神的には未熟な存在…… わかっていながらも自分の理想とする子ども像に近づけようとしがちである。


子どもの人格を尊重するうえでも、もっと自分にゆとりをもって接していきたいと思う。現在のその子のありままの姿を認める教師でいるためにも、発想の転換を心がけていきたい。

たのしかった → 5   ためになった → 5




<間違った生徒指導?!>



特に学んだこと、というと、やはり3日目の午前・午後の講義が印象深いので、私はそれについて書きたいと思います。


前々任校は、M市立M中学校でした。私が赴任した時は、だいぶ生徒が落ち着いていた時でした。(もちろん、生徒も変わるので荒れっぱなし… ということがあるわけではないのは当たり前なのですが…) 「 5〜6年前はすごく荒れていたんだよ。」という話をよく聞きました。


その当時、生徒指導上、いわゆる“力”のある先生方(大きないかつい顔をされた男の先生)が5〜6人引き抜かれて、M中学に赴任されたそうです。その先生方が、私の赴任した時、まだ3〜4人おられました。自分たちがこの学校をたてなおしたんだ、と、得意気(?!)によく話をされたものです。


初任者だった私は、その先生方のされる指導が正しいのだと、すんなりそれを受け入れ、自分のクラスの生徒に問題があると、また、顧問する部活動の生徒に問題があると、その先生方の指導を真似して指導していました。(指導した… つもりになっていました。)


でも、実際の指導は??? といっぱいクエスチョンがつくくらい… 今考えると ひどい?! というか、そんなことして意味があるのか?というものでした。その先生方がなされていた指導とは、こんなものでした。



@    問題が起こると、部活動部員の連帯責任(クラス全体で指導をしたうえにです。)
  ・朝、夕方に校庭のそうじ  ・大会出場を1回見おくる   ・一週間部停止

A    放課後30分〜 1時間ほどの正座(目を閉じて)

B    保護者に学校に来てもらって、学年の先生方全員が校長室に集まって、
   みんなが一言ずつ、保護者とその生徒に注意(話)をする。



これがM中のやり方だと言って、転任されてきた先生方にも同じようにさせる。そんな感じでした。私は他の学校のことをよく知らずに(初任者ですから)これが正しいやり方だと思い込んでいました。


でも、ある日、新しく転任されてきた先生が「変だよ、この学校。」といわれるのを聞いて「あっ、そうなんだ」と考えをあらためるようになりました。


今、思えば、あの頃って、うまくいくものもいかなかったと思いますし、生徒とのイイ関係どころか、まさしく自分自身の手で“より悪い関係”を作っていたなと、悔やまれます。全然何の関係もない生徒が、部活動ができないうえにそうじまでさせられ、大会にも出られないのですから、反発がないのがおかしい!


特に今日の講義ではM中にいた頃の自分を思い出して恥ずかしいし、あの時の生徒たちに申し訳なかった… と思う気持ちでいっぱいになりました。
3日間たのしい講義をありがとうございました。


(たのしかった度合い … 5   ためになった度合い … 5




<「おい!こら!」生徒指導からの脱却>


これまでの生徒指導で自分の支えになっていたもの、それが「児童に嫌われてもいい、だけど君たちのよくないところは先生が何とかしてやる。」という考えに基づいた生徒指導だった。思いおこせば、一日に何回「おい、○○するな!」「こら! 帽子はどうした!」の連続。子どもたちとのイイ関係とは全く反対のことばかりやっていた。


「子どもの状態を尊重する」、大人に「失礼かな」と思うことを子どもにもしない。
大切なことですね。


指導の優先順位はこれまでどれも同じように、きつく指導(していたつもり)してきたので、こちらも少々疲れぎみでしたが、ちょっと肩の力を抜いて、子どもたちと共にがんばろうという気持ちになりました。




<心に余裕を>


生徒指導の最大の目標は「子どもたちとのイイ関係づくり」ということだった。私はこの講習の1日目に「楽しい生徒指導」という言葉を聞いてびっくりというか「そんなはずはないよ〜」と思った。どうしたって生徒指導は「大変なもの」「面倒くさいもの」という感覚があったと思う。


しかし、昨日、今日とお話を聞いていて自分の心の中にはっとするものがあった。「理想を掲げて妥協する」とは、人が生きていく上でとても大切なことかと思う。教師としての自分にとっても、家庭で妻としての自分にとっても。妥協することで、完全を求めないということで、心に余裕が生まれてくると思った。



心に余裕を持ち、子ども達と向き合いたい。子ども達一人一人を尊重し(… と言ってもそれはなかなか難しいことかなぁと思うのだが)理解した上での生徒指導をしていきたい。


これから2学期が始まり、忙しい日々が続くと実際どのようなことが私にできるのかわからないが、この講習のおかげで現在、意欲満々、とても元気の素をいただけたと思う。ありがとうございました。




<子ども達とのイイ関係を作るための生徒指導>


生徒指導の時にも中心は子どもということは、当たり前のようで忘れてしまっている事だった。学校や教師のおしつけ的な面が強かったと思う。その子たちの話を聞くことまではしても、それを判断の資料にはしても、その子の今を尊重するところまでは難しい気がした。


お話の中で生徒から面と向かって文句を言われたら見込みがあるという話があったが、他の先生方の前ではきちんとしているのに私に対して地を見せる子達がいて、かげ日なたがあってやだな、と思っていたが、そう考えるとちょっと楽になってきた。


最後に「どっちに転んでもシメタ」という考え方いいですね。
教えていただいてありがとうございました。




< 学校=デパートだ!! >


実は、衝撃的な言葉だった。お客さんがいて、サービスが成り立つ商売。それと同様、私たちにとっては子どもがそこにいるから、私がいるのである。そして、授業というサービスを提供するのである。こんな発想が、今までできていなかったような気がする。


教師主尊型、形にはまった思考、してやるという考え方、子どもの側に立てば余計なお節介。実は、私自身が子ども達に害を与えていたのかもしれない。子ども達とイイ関係を保ちながら楽しく授業を展開するために、できることから、即はじめていこうと思う。


・授業延長はしない(ここまで、ここまで、といいつつあたり前のように延長してしまう。)

・急に指名しない。(自分もやはり、会議で指名されると困る。今日は○月○日、はい、○番の人。なんて、やってしまいます。)

・注意は簡潔に。(ついつい長たらしく子どものためだ、と思いこんで説教してしまう)

・「大人に失礼かな」と思うことは子どもにもしない。(子どもの人権を無視して、子どもだから、まぁ、いいか…、子どもだから…、と考えていた自分。)


改善すべきところはたくさんあるのだが、4つのことからまず、はじめていきたい。



<イイ湯加減はクラス円満のヒケツ>



午後のレポートに書きました。ぬすみ…、ですが、友達の物を盗んだり、隠したり、あげくには気に入らない友達をいじめたり、無視したり…、とやさしい言葉をかけていつもその子の行動を見ているだけではおさまりませんでしたので、優先順位で考えてもこれは叱るしかないと思い“叱るならしっかりと”と考えて厳しく指導したというものでした。


決して先生のおっしゃることに反するものでも、よく分からなかったわけでもありません。
誤解をまねきまして申し訳ありませんでした。


でも、今までの自分は優先順位で考えて対処はしてきたものの、結局、すべて、最後は叱ってきましたので、せっかく、子ども達とイイ関係ができてきてもそれを自ら壊していたかもしれない…、ということに初めて気が付きました。



先生がおっしゃった「イイ関係が壊れるくらいなら、なくなったものは見つからなくてもいい」という言葉。最初は驚きましたが、物より子どもの心が大切ですよね。物は、また買えますが、子どもの心を一度傷つけたら、元に戻すには、どれだけの時間がかかるか知れません。


学校はデパートと同じという発想もなるほどと感じました。今まで、お山の大将、ゆでガエルになっていた自分が恥ずかしいです。


指導は厳しくすることも必要だと思う考えは変わりませんが、もっと子どもの立場に立った言動を、より考えていこうと思いました。
3日間、大変お世話になりました。ありがとうございました。




<生徒指導の最大の目標は子どもとイイ関係になる(より悪い関係にならない)こと>


資料の中に「万引きしていた女の子とそのお母さんに」というプリントがあった。


4月転任そうそうからA君の万引きがわかりA君を呼んで話をした。A君は涙をこぼしながら「もうしない。」と言うので、私も泣かせてしまったことと、なんかいやな指導をしてしまったという感じから胸がしめつけられそうな感じがした。


その後、他の先生から「A君に話をしましたか」と言われ「はい、涙をながしていましたから大丈夫だと(もうしない)と思います。」と返事をしたところ、「泣くんですよ。泣くけれどまたやるんですよ。」と言われ、“そんなこと”と心の中で思っていたが、5月に一回、6月には他の子どもほさいふからお金をとる(金銭的には100円と小さいのだが)ということがわかった。



6月にA君と話をした時に自分の中に、もう信用できない涙にはだまされないといった気持ちが生まれていた。学校の忙しい生活の中での生活指導は、何が大切なのかが見えなくなることがある。忙しいからという言葉にかこつけてはいけないと思うが、忙しいからこそ考える余裕もなくなるし、まわりも気になるし、イライラするし、子どもとの関係がイイ関係にならない。だからどうすればよいのか?


今回の講義の「たいしたことではないんです。」が心に残りました。
「たいしたことではないんだ。」と考えると自分の中にも余裕がでて、A君ともイイ関係になりそうです。今は、常に声かけをしてかんししているような状態にありヘトヘトでしたから…。



@生徒の命、安全にかかわること 
A学校生活(いじめ)
B授業妨害などは問題だけど、
C「校則違反」や
D「生活・学習態度」
の多くは、じつは問題と言えない「問題」ということがわかりよかったです。


A君だけでなくSさんとの関係もイイ関係になるようがんばりたい。(ぼちぼちいくのがいいかもしれません。)




<親切とおせっかいは紙一重、「なのに」と言ったら「だから」>


この講習で生徒指導への考え方が変わりました。私は悪いことは悪いと言っており、先生方と話す時もそんな考え方のもと、いろいろ話してきました。はたして、それはよかったのか。本当に今考えます。子どもとのイイ関係は築いているのか。


養教という立場なので授業でのかかわりはありませんでしたが、その子をそのまま見てあげていたのか。親切のようでおせっかいだったのでは。生徒の見方も一方的ではなく多方面から見てみなくては。決めつけはよくないとつくづく感じました。生活指導で学習態度についつい目がいき、その点で指導し、生徒との関係がぎくしゃくしている先生もいます。


それらの問題は確かに命とかかわるものでもなく、暴力でもなく犯罪でもない。実は問題とは言えないと。言われてみればその通り。なかなか難しく考えていた生徒指導も、こう見れば気楽にできるのかなと思いました。学校での生活に取り入れたいと思います。




<「一人で遊んでいるのがかわいそうと決めつけないで」、

 「みんなと仲良くしようと決めないで」>


道徳で「みんな仲良くなろう」「だれとでも仲良しになろう」と、友情・親切・思いやりなどを教えるのだけれど、すべての人と仲良くなる必要があるのか、と私は思っていました。私自身、どうしても「この人とは合わない、話をしたくない」と思う人が高校時代にいました。なるべく同じ席にならないよう、同じ列車(汽車通学でした)にならないよう気を使ったものです。


今、自分の息子、娘2人の友だち付き合い方を見ていても明らかです。気の合う友だちとは自然に笑顔があふれ、時間がたつのも忘れて遊んでいますが、逆にそうでない友だちが遊びに来たら、話し方もぎこちなく本人たちは楽しいのか楽しくないのかわからない状態…。


教師間もそうです。だから、たしかに友達との付き合いは大切なのだけれどすべての人と仲良くしなくてもいいと思うのです。他人の権利を侵害する行動さえしなければ…。 とはいっても、また2学期から道徳の授業をしなければならないのですね。



<悪口は陰でこっそり>


「面とむかってはっきり、陰でこそこそ言わない」とよく子どもに言います。また、「保健室では、悪口禁止」もよく言います。そんな時の私の気持ちは、聞いてしまうと自分も悪口に参加したみたいで嫌だ、とか、あとから他の子どもに、誰だれさんが保健室で悪口を言ってたでしょ?!とか、色々言われると面倒だなー、というものばかりでした。


つまり、悪口を言っている子どもの気持ちを受け止められていなかったのです。自分のことばかり考えていました。
今考えると、自分も陰口を言うことがあるし、子どもと同じです。子どもがその時、何を言いたかったのかを、自分から知ろうとしなかったのは、良くなかったと思います。


わざわざ私の前で悪口を言ったのには、何か理由があったんじゃないかな、と思います。すぐに、悪口はだめ、といった指導をするのではなく、その時の子どもの気持ちを受けとめることからだったのかな、と思います。子どもとイイ関係を築いていきたいです。
悪口は、陰で、こっそり(本人のいないところで)この言葉に、なるほどな、と納得しました。



<そのままのあなたでよい>


楽しい生徒指導で先生がお話になったことは、本当にその通りと思いました。しかし、現実の学校になるとなかなか難しいし、学校という場所がどうしても「指導」「評価」をする場所から脱却できていないし、自分自身もいつの間にか自分の本心をだまし、何が本心かわからなくなります。


でも、二回目の講座でやっと先生のおっしゃりたいことの少しは理解でき、自分も自分らしく生き、他人の生き方も認めていけそうな気がします。



その子の現状のままでよい。「待つ」のではなく… 深いことばだと思います。「みんなちがってみんないい」「そのままのあなたでよい」と言いながら、同僚や周囲の目が気になって何をやってんだか… と悩んでいたので、何かがストンと心に落ちました。


「人間の義務はただ一つ、人を害してはいけない」。これは心に刻んでおきたいと思います。学校で教えることは何なのか。今、学力向上と現場ではやっ気になっていますが、何か変だと思っていました。一番大事なこと、自分も自由だけど、人も自由。自分が気に入らないからと人を害しちゃいけない。


いい加減はよい加減。理想を掲げて妥協する。本当に1つ1つのことばが1年前とは全くちがう意味で新鮮であり、心にもしみました。職場の壮絶ないじめ体験のせいもあるかもしれませんが…。
もぐりでも来年も受けに来たいと本気で思いました。3日間の感動を忘れずに、せっかく学んだことを忘れずに、2学期… そしてこれからも生きていきたいです。ありがとうございました。

(楽しかった度合 … 4   ためになった度合 … 5)




<教師生活で初の生徒指導主任!>


「私が生徒指導主任で、この学校は成り立っていくのだろうか」なんて大きなこと考えていました。「厳しくビシッとけじめのある子どもたちに、この私が仕上げることができるだろうか」などと。何だか大きな勘違いをしていたようです。


何もそんなに大げさに考えず、これまでやってきた学級での指導を学校規模にしただけなんだと、私なりに考えました。
子どもとイイ関係。問題が起こった時は、それこそ胃が痛くて食欲もなくなりますが、昨日のプリントにあった万引きしたS子(?)とその母親とのやりとりの話は、胸にぐっと、目頭うるうると… です。


その日が来たら、それまで食べられなかった分まで食べまくり。「苦労が8、嬉しいことが2。でも、その嬉しい2のパワーは苦労8を全て消し去ってくれる。」とこれまで、そう思ってきたが、もっと気楽でいいのかな、発想を転換してという気持ちになりました。


… また2学期忙しくなるとそんなこと、どこかに飛んでいってしまいそうですが…。
自他の生命、安全面に関することはもちろん厳しく、あとは、自分の都合に合わせて怒鳴ったり、注意したりすることをなくしていきたいなぁと思っています。(いつも思っているのになかなか…)これまでの認定講習(今回で4つ目)の中で、即、学校で生かせる唯一の講習でした。生かすも生かさぬも、私次第。ありがとうございました。


(楽しかった度合い … 4   ためになった度合い … 4




<なぞの解決 ―― 生徒指導の最大の目的>


恥ずかしながら生徒指導 = 問題行動の改善と単純に考えていました。問題行動が起きた時に何が目的なのか、自分が分かっていなかったことが実感しました。


一度、万引きの女生徒に対応したのですが、どうしても自分がぎくしゃくしてしまい、生徒はだんだん立ち直っていくのですが、自分だけが立ち直れない状態にありました。今、考えてみると、子どもとのイイ関係を作ることを忘れて、問題が起こったことへの対応で頭がいっぱいだったのでは、と思います。



生徒指導の中で「子どもの状態を尊重する」、「大人に失礼かな」と思うことはしない、「他人の権利を侵害する行動は、即 妨げるが指導を急がない」というのはあたり前なのに、学校生活において、つい忘れがちになること思います。


日々の中でつい忘れてしまいそれがあたり前になっていく。こわいことだなぁと、改めて感じます。学校生活にもどった時、生徒指導の最大の目的は = 生徒とのイイ関係。これだけは忘れずにしたいです。


(楽しかった度合い … 4    ためになった度合い … 4




<お説教(生徒指導)について>


教員生活をして10数年たつが、自分なりの教育観、方向性をもって取り組んできた。
失敗を繰り返しながら、日々勉強中です。いいときもあれば悪いときもある。
特にここ数年はピリピリしていたような気がする。


「発想法かるた」や小原先生の実践を学び、今までの自分が根底からこわされたような思いがした。


今までの自分は何なのか?って思ってしまった。「こうあるべきだ」と思うことを、子どもたちに押しつけていたような気がする。
そして、つい、ガミガミ言ってしまう。反省するばかりです。


子どもがいつもニコニコしていると、教師もうれしいし、気持ちがいいものです。
いつも心のどこかにおいて、子どもたちと付き合っていきたいと思う。
しかし、今の自分や学校のままでは、理想で終わってしまいそうである。


少しずつ変わっていく必要があると思う。問題行動がある子どもの話は、よく聞くようにしているつもりである。
でも、大した問題ではないと思えなかった自分がいたような気がする。


一人一人の長所も短所も個性ある。そういう考えを大切にしていきたい。

楽しかった度合い … 4  ためになった度合い … 5




<とても たのしい 生徒指導 の巻>


  生徒指導、それはできればさけて通りたいものを、なぜたのしい ―― と銘うつのか、初日からとても気になるネーミングでした。


  厳しい、忙しい、ストレスのたまる生徒指導。
なぜイライラするのか、そのイライラは生徒が正しくならないイライラではなく、教師の体面、すなわち、顔をかけてのイライラだったことがわかった。


他の学年の先生がいるといつも以上にはり切って声を出し怒る所など、実際によくあることで、そのことで、○○先生は… と評価を低くされないためにしているなんて、生徒あっての生徒指導ではないなぁと、改めて思いました。



  写真を盗んだ中学生への話の仕方など、まさに、初任研でしてもらいたいし、先生の講義を校長研修会や県教委でもするべきです。ぜひ!!





<トラブル=チャンス!>


  教員生活3年目の私にとって、外からの目は、とても気になっていた。何かトラブルが起きた時など「保護者はどう思うだろう。」、「学年の先生に迷惑をかけたくない。」こんな思いを持った。


子どもに対しては「何でこんなことするの?」という思い。
だから、何か起るたびにガックリ。



 
今日お話を聞いていて思ったことですが「子どものための先生でありたい。」ということ。
当然のことながら、これがなかなか難しい。
子どもと一緒で、周りからの評価が気になる。本当のところ。


  でも、今日少し力がぬけた。気がした初の6年担任。「6年生として、子どもたちにこうあってほしい!」、「6年担任たるものこうあるべき。」と、力が入りすぎていたような気がする。


ふと考えると、自分の6年生の時なんてすごかったですから…。 トラブルを困った!どうしよう、ではなく、「トラブル=子どもを知るチャンス!と、とらえてみようかな〜。」と思う。


私が成長するチャンス。子どもとじっくり話せるチャンス。保護者と語るチャンス。そしたら、何があっても落ち着いて子どもと向き合えるかなぁ。


たのしい生徒指導だと? 生徒指導が楽しい訳ない!と思っていた自分。とらえ方だなぁ、と思った。





<しなくていい。>


  「勉強しなさい。」、「宿題しなさい。」「給食たくさん食べなさい。」 自分が子どもの時に絶対に言われたくなかったことを、今、自分で言っている。おせっかいだな〜。


「親切とおせっかいとは紙一重」その通り。単にそう言って満足しているのは私なのかもしれない。 ゆっくりと子どもと接することができるようになりたい。


たのしかった度合い … 5   ためになった度合い … 5



3日間、とても楽しい講義でした。

2学期を前に、とても良いお話を聞くことができました。
ありがとうございました。何かあったらメールを出しますので、よろしくお願いします。





<子どもとのかかわり方について>


  この講習では、子どもはどういう人か改めて学ぶことができました。
子どもはよいこと、わるいこと、おもしろいこと、びっくりすることをたくさんする人であるし、大人と同じように、いろいろな気持ちがある人です。


私はこのごろ子どもたちに害を提供して、あたたかいサービスを提供していないと反省ばかりが浮かんできました。


先生が「『しないこと』が子どもたちの信頼を得るんだ」とお話されていました。
普段の私は『してばかり』で子どもたちのことを真剣に考えていなかったのだと思いました。


子どもたちとの関係が悪くならないように、まず授業をもっとがんばっていきたいです。
評価をすることが苦手でいつも子どもたちに悪いと思いながらしていますが、子どもたちに私の評価をしてもらったらいいなぁと思いました。





<発見した生活指導>


  今年の人事異動で5校目である本校に赴任しました。
今まで、子どもたちはもちろん、教師仲間、保護者ともうまくいってきたつもりでした。



  しかし、本校では違いました。いままでのように接しているのに、なぜか子どもがさわがしい。


「低学年だから」と考えたり、「子どもたちが違うから」と考えたり、最初の頃は、いろいろ「〜だから」しかたないと思っていました。


でも、しばらくすると「昨年はそんなクラスではなかった。」「昨年は○○君はおりこうさんだった」と耳に入ってくるようになり、「私の教師としての力量がないんだ」と思うようになりました。


それから、子どもの登校拒否の気分が分かるくらい自分も身体に不調が出始めました。
「5月病」など味わったこともなかったのですが、つらい日々が続きました。


「ぼくだけを見て」という一人の子どもに振り回されながら、スキンシップをとりながら、しだいと落ち着いてきたのですが、今回の講義の中で「教師の力量ではない」、子どもが変わってきているのだから「自分の力を飛躍させるチャンス」にはとても勇気づけられました。今、これまでの生活指導、授業を振り返ってみると



@授業は区切りのいいところまでする… 授業延長


A「教室はまちがう場所だ。いいんだよまちがったって」などと言いながら発表をなかなかできない子にも指名をする。


B注意はねちねち、押しつけ、お節介


なんと全て逆のことをしていたのです。


いままで素直すぎるくらいの子どもたち(自分を押さえていたのでしょう)に支えられていたのです。今回は発見の連続でした。





<生活指導のプレッシャー>


  自分のクラスの生徒ばかりが問題を起こしたり、自分の担当するクラスの授業中の態度がよくないと、周り(同僚、上司)の目が気になってプレッシャーを感じ、何とか他のクラスのようにしないと、とあせってしまっていました。


朝の会や帰りの会も本当は話しなんかしたくないのに、生徒が「なるほど」と思うような訓話(ありがたい話?)をしなければならないと気になったりもしていました。


そして、そんな時自分の中で問題だと考えているのは、「生活・学習態度の問題」や服装・頭髪などの「校則違反の問題」でした。


今回、生徒指導上の問題の優先順位をノートに写しながら@ABのことを気にかけていけばいいんだと考えることができたし、またその他のことは「ふり」をすればいいという話でちょっと肩の力が抜けた気がします。


あと、生徒指導の最大の目標は子どもとイイ関係になる(より悪い関係にならない)ことを頭のすみに入れてやっていきたいと思います。



たのしかった度合い … 4 → 2回もあたったドキドキのところで マイナス1
ためになった度合い … 4 → もうちょっと詳しく勉強して実践してみないと分からないのでマイナス1


「教育学V」の受講者はちょうど200人。全体の5段階評価は次の通りでした。

たのしかった度合い ためになった度合い



5 ――― 104人

4 ―――  90人

3 ―――   1人

2 ―――   0

1 ―――  0

4.5 ――  1人

3.5 ――   1人

記入なし ――  3人

――― 113人

―――  76人

―――    2人

―――    

―――     0

4.5――    1人

3.7 ――    1人

3.5 ――    2人

記入なし――  5人
計200人 計200人





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Last updated: 2003.9.15
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