TOPページ → 内沢 達 プロフィール
2024年1月29日記。 ウチザワタツシ。北海道旭川市出身、76歳。3月に77歳になる。鹿児島市鴨池新町(鴨池港の近く)に暮らす。 ツレのトモちゃんといっしょに、 会の名称から「不登校の親の会をやっているんですね」と言われる。その通りだが、僕らの会は不登校やひきこもりを否定的に捉えない。 それにとどまらず、不登校やひきこもりのわが子のおかげで、僕らは自分を大切にするようになり、自分自身の人生をよりたのしく、より気持ちよく生きられる、と考えるようになってきた。 僕らの明るく生き生きした日常は子どもたちへの何よりの応援にもなる。毎月第3日曜日の例会での交流の様子から、この会を「親の会」というよりも 僕もこの会は本当に自分自身のためになる会だと思う。 今後ともこの会で成長していきたいと思っている。 ここ数年、年末にこのプロフィールを更新してきたが、今回の更新は1ヶ月遅れてしまった。 じつはこの年末・年始、僕は体調が思わしくなかった。昨秋から強めの運動をした時に息切れ感があっておかしいな〜と思っていたが、 しばらく服薬で様子を見て行きましょうといった感じだったが、新年1/4の採血検査で、12/18には(−)だった数値が跳ね上がり、心筋梗塞と診断され、即入院、カテーテル検査・治療(ステントの挿入など)がおこなわれ、1/6に退院した。 ふり返ると僕の今までの最大のピンチは、18年前、2005年秋の急性心筋梗塞、バイパス手術だった。それは忘れようもないことだが、その後すっかり元気になって、心臓にハンディがあること、十分に注意しなくてはいけないことなどはどこかに飛んでしまって忘れていたのだと思う。 山登りについてはいつもゆっくり登っていて決して無理はしてなかったと思うが、僕は昨年ほぼ1年間ジムで相当な強度のサーキット・トレーニングに夢中になったりもした。当たり前だが、「過ぎたる」はよくない。 昨年は、春には京都の大文字山、夏には北海道の大雪山・黒岳、秋には山梨の大菩薩嶺(百名山)など、遠出も含めて計20回、山登りを楽しんだが、今年の楽しみはしばらく先になる。 しばらくはゆっくり身体を休めたい。 暖かい日に、すでにそうしているが、ゆっくり散歩したい。 「親・市民の会」月例会は、 2024年、今年もどうぞよろしくお願いします。 「登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)」については 2022/12/10の南日本新聞で紹介がありました。 このページをご覧のみなさまへ アクセスしてくださり、ありがとうございます。 以前(2002年、2007年)は、下記のように自己紹介していました。 「ウチザワタツシ」です。 ハンドルネームは、「tachan55」、または「たっちゃん」、はたまた「ゴンタ」。 1947年3月、北海道旭川市生まれ。 父方「トメノスケ」の孫、「スエジ」の子(「留」や「末」に意味がある)。母方は、「カクベエ」「ネネマツ」「トリマツ」「トキ」といった家系。(ルーツは、ともに東北は岩手・南部) 旭川は寒い(マイナス41度の記録がある。かなり昔のことだが)。大学生になって札幌に出た。「札幌の冬は手袋無しでも暮らせる。なんと暖かいところか!」と思った。 北海道大学教育学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学後、1976年10月、鹿児島大学教養部講師(教育学)に採用される。鹿児島は暖かいし、夏は暑い。だが、「その冬はなんと寒いところか」と最初は思った。 79年助教授、91年教授。97年教養部廃止にともない、教育学部に配置換え。現在、鹿児島大学教育学部教授。大学院(修士課程)では、教育学コースのなかの「学校経営」の分野を担当。
上記は2004年3月までのこと。 |