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オープンキャンパス2006「たのしい授業への招待」 「とびっきり楽しい授業でした」 ─ 「ことわざ・格言」の授業 / 「なのに」と言ったら「だから」 ─ 8月4日(金)10:30〜12:00 鹿児島大学教育学部101号教室 高校生に「たのしい授業への招待」を8年連続です。 今年は、「ことわざ・格言」についての授業をしました。 最初に、僕がいつもの授業で使っているB5・1枚のプリント「発想を豊かにすることわざ・格言集」を配布。板倉聖宣さんの『発想法かるた』(仮説社、1992年初版)から抜粋・引用して作成したものです。各〈ことわざ・格言〉のポイントについて、ほんのひとことふたことの説明をつけています。 この日の授業の中心は、そのなかの「“なのに”と言ったら“だから”」。 この格言については、村上道子さんの授業プランをそのまま拝借して授業をしました。大学の授業でも、いつも村上さんのプランでやっています。 (このHPに2004年7月の授業記録がありますので、ご覧ください) 大教室(360席)がほぼいっぱい。補助椅子にも10数人に座ってもらいました。遠く三重県、京都府、奈良県からの参加もありました。 終了後、集約されたアンケートは計338枚。 2年生が一番多く181人、 次いで3年生123人、 1年生も32人が参加しました(他に学年不明1人、保護者1人)。 授業の「たのしさ」についての5段階評価は、 5 とてもたのしかった 201人 4 たのしかった 121人 3 どちらとも言えない 10人 2 つまらなかった 1人 1 まったくつまらなかった 1人 記入忘れ 4人 でした。 とてもイイ評価ですね。 すばらしい感想文もたくさんもらって、たっちゃんは満足です。 オープンキャンパスに参加した高校生のみなさん、ありがとうございました。 では、いくつか感想文を紹介しながら、「たのしい授業」のどういったところが高校生からも支持、評価されたのか、確かめておきたいと思います。(以下、感想文のなかのアンダーラインは内沢が引きました) (2006.8.31記) 授業なのに楽しい 僕の場合、オープンキャンパスで扱う教材や内容は毎年違っていますが、 大きなテーマ「たのしい授業への招待」はずっと変わっていません。 「たのしい授業」は、その学派にとっては当然のことであっても、一般には大学も含めて学校の「授業なんか、楽しいはずがない」というほうが常識です。 それは高校生も同じですね。 そうした高校生が、そうではない「たのしい授業」に出っくわしての感想です。 ☆おもしろくない授業だと思っていたけど、すごく楽しかった。時間が早く感じた。 (鹿児島南 3年 H君) ☆この授業を受けるまでは、正直、大学の授業は90分もあるので眠そうとか、退屈そう・・・とか思ってました。でも、この授業はとても楽しくて、90分では足りない!!と思えるくらい、充実した時間を過ごすことができました。 (宮崎南 3年) 授業時間のことにふれた感想をもうひとつ。 ☆楽しかったです!! いつもは長く感じる50分間が、今日は90分間だったのに、 すごくあっという間に感じました。 (宮崎西 2年 Kさん) さて、文章のなかに「のに」という表現が出てきました。 同じように「なのに」という表現がある感想文を紹介します。 ☆内沢さんの授業みたいのは初めてでした。 笑いがたえませんでした。 授業なのに楽しいって思いました。 (鹿児島 3年) ☆授業なのに楽しかったです。 (宮崎・小林 2年) この二人の文章にある「なのに」は、まさに「前提となっていることが当てはまらない事実が出てきた」ときに使われる表現です。 ☆とても楽しい授業でした。ウチザワさんのおもしろいトークで、とても盛り上がりました。 「授業なのに楽しい」・・・・@ 「授業だから楽しい」・・・・A ウッチーの授業はAのほうでした。絶対に鹿大に合格して、ウッチーの授業を受けたいと思いました。 (武岡台 3年 T君) ☆Tachan 最高! 授業なのに楽しい! たっちゃんの授業だから楽しい!!! (鹿児島中央 3年 Cさん) ☆私はこの授業を受けて、とても楽しかったです。 ことわざ・格言のおもしろさが分かって良かったです。 日常使っている言葉を言い換えてみると、 意味が違っておもしろかったです。 来年のオープンキャンパスもまた楽しみにしています。 大学なのに楽しい → 大学だから楽しい (鹿児島実業 2年 Tさん) 早速、学んだこと「“なのに”と言ったら“だから”」を生かしての感想です。 二重にウレシイですね。 ☆つまらないかも、 と思ってたけど、 かなりすっげーとても まじ楽しかった ような気がしないでもない。 鹿大なのにおもしろい。鹿大だからおもしろい。 (学校名記入なし 3年) 「すっげー」とか「まじ」とか、何重にも評価しながら、しかし、また「ような気がしないでもない」などと素直には結ばないところが、かえって「たのしい授業」を意識してくれているように思います。 ちゃんと「なのに」「だから」の作品も書いてくれました。こういった感想もウレシイですね。 「発言しない自由が自由の第一歩」 この格言は、「たのしい授業」の第一歩でもあると思います。 学生・生徒の「発現しない自由」を無条件に認めるということ。 このことは、僕の日頃の授業でもとくに意識し、守っていることのひとつです。 普通、学校に、この考え方はほとんどありませんので、オープンキャンパスの授業でも最初に「僕からインタビューされても言うことがないときや言いたくないときは発言しなくてもかまいません。短く“パス!”と言ってください」と話しています。 通路際にすわっている何人かと“パス!”の練習までします。 さて、この格言にかかわっての感想がたくさんありました。 ☆言いたいコトわ言えば良いのと同じように、 言いたくないコトわ言わなくてもOK!なんです。 ↑このコトわ学校の授業にもあてはまれば良いのに・・・ 『パス!』最高!! (国分 2年) ☆今でも学校の授業でわからないことがあったら、立たされて解くことができるまで座れないのが当たり前だったのに、憲法38条を尊重して、「発言しなくてもいい」考えもあるんだなと思いました。 (熊本・人吉 1年) ☆今度授業中に先生にあてられた時には、「発言しない自由が自由の第一歩」ということを説明して、黙秘権を得たいと思います!! (福岡・八女 2年 Kさん) ☆自分が思っている“授業”というものを変える“授業”になりました。 「発言しない自由が自由の第一歩」ということで、質問に答えたくなかったら、答えなくて良い!!っていう考えにすごくびっくりしました。 生徒を引き込むような話ばかりですごく楽しかったです。 『パス!』ということがとてもおもしろくて、楽しかったです。 指名されたら答えるという考えも変えてくれました。 今までで一番おもしろい授業だったかもしれません。 たっちゃん、サイコーでした!!! (加治木 2年) ところで、「発言しない自由」を認めたら、生徒は黙りこくったり、また「パス!」を乱発したりして、発言しなくなり、結果として教員だけがしゃべりまくる授業になってしまうのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。その反対です。 発言の強制がないことから、かえって、思ったことや考えたことを気楽に発言してくれるようになります。僕の大学での授業がいつもそうですし、今回の一回きりのオープンキャンパスの授業でもそうでした。 ☆「発言しない自由」があるとなぜか発言しやすかった。 パスしていいのに発言する。 パスしていいから発言する。 (熊本・人吉 1年) この場合にも、「“なのに”と言ったら“だから”」なんですね。 ☆生徒と一体となって授業が進んでいて、とてもなじみやすかった。 (熊本・玉名 2年 S君) ☆先生と生徒との会話が多く、時には笑いもあり、とても雰囲気のいい授業だと思った。 (指宿 3年) ☆普段の授業とは違って、たくさん考えたり発言したりすることがあって、楽しかった。他校の人の意見などが聞けたのも、すごくよかった。 (出水中央 2年) それというのも、「発言しない自由」がはっきりと認められていたからではないでしょうか。 頭を使う、考える ところで、「発言しない自由」の保障が大事だとしても、それだけでは「たのしい授業」にはなりません。 なんといっても、〈何を教え何を学んでもらうのか〉という中味が一番肝心です。 教育内容には、学生・生徒の興味・関心を呼ぶものがなくてはなりません。 学生・生徒が授業中に(頭の)ノーミソをフル回転させたくなるような問いも欠かせません。 問いに対しては、「なるほど、そういうことだったのか」と誰もが納得できる答えの用意が必要です。 仮説実験授業の「授業書」やその他の各種「授業プラン」には、「たのしい授業」を確かに実現していく手立て(内容と方法)が示されています。 さて、これまで紹介してきたこと以外に、高校生はどのようなところを「たのしい」と評価してくれたのでしょうか。 まず、とても短い感想文を紹介します。 ☆久しぶりに頭を使った気がする (出水中央 2年) たった一行、これだけの感想です。 先にも一行の感想文を紹介していますが、それは該当部分だけを引用したからでした。 感想文全部でも一行だけ、しかも十数文字しかないとなると、逆に重みがある一言のようにも思います。 彼(彼女)は5段階評価を「4 たのしかった」にしていますので、「頭を使った」ことがたのしかったのでしょうね。 平素頭を使ってないわけではないでしょうが、意識的に、あるいは本気になって「使った」のが久しぶりということかもしれません。 もっとも、「気がする」と続けていますので、意識して「頭を使った」というよりも、気がつくとノーミソをいっぱいに働かせていた、といった感じでしょうか。 いずれにせよ、人間の思考を活発にしてくれるのが「たのしい授業」です。 ☆いろんな視点から物事を考えることができてよかった。とてもたのしかった。 (伊集院 2年 Mさん) ☆こんなに深く考えたのは初めてだった。いつもは普通に使う言葉でも、よく考えるとすごく奥が深かった。 (鹿児島玉龍 3年) ☆自分が普段考える機会のないことを考えることができて楽しかったです。 (松陽 3年 Hさん) ☆今日の授業はとびきり楽しい授業でした。それは私が普段考えなかったことを考えるということがこれほど楽しいものなんだということを実感したからです。これからも、考えてみること、またその楽しみ、価値を忘れないようにしたいです。 (鹿児島 3年 I君) ただ「考える」ことだけなら、「たのしい」ということにはなかなか至らないでしょう。 「いろんな視点から」「深く」「普段考えないようなことを考える」ことが「たのしい」んですね。 すぐ上のI君の感想にある「とびきり楽しい授業でした」をこのページ全体のタイトルに使わせていただきました。 I君に感謝! ありがとう! 知る、分かる、心が広がる、視野を広げる・・・ ところで、「考える」ことが楽しいのは、その先とつながっているからでもあります。 ☆考えることが楽しくなってきた。考え方を変えるだけで、見えてこなかったことが見えてきた。 (宮崎・小林 2年) ☆物事を今までとはまったく別の方法で見ることができて、新しい発見!がありました。 (甲南 1年) ☆「いい加減はよい加減」のように、言葉はいろいろな方向から考えることができるとわかった。 (大口 2年) ☆考えたこともなかった考えを知りました。 (福山 3年) ☆ものごとには、いろいろな見方・考え方があるということがよくわかりました。「なのに」「だから」など、言葉を少し変えることで、前提も変わり、とてもおもしろかったです。前提の真否を疑ってみるのも良いということを初めて知りました。 (宮崎・妻 2年 Iさん) ☆私はこの授業を受けて、とても楽しかったです。 ことわざ・格言のおもしろさが分かってよかったです。 (鹿児島実業 2年 Tさん) ☆哲学とは今まで難しいことを学ぶことだと思っていたけれど、今日の講義を受けて、じつは案外簡単なことで楽しいことだとわかった。本当に楽しい授業に招待されたと実感しました。 (川内 2年) このように、「知る」「分かる」があるから「たのしい」んですね。 ときどき、「たのしい授業」というと、「なんか、オモシロ、オカシイ授業なんでしょ?!」といった受けとめ方をしている人がいますが、それはたいへんな曲解です。 いっときのオモシロ、オカシさでは、たちまちに子どもたちに見抜かれ、あきられ、それでもなお続けるようでは「センセー、いい加減にしてよ!」ということになります。 新しくものごとを感動的に「知る」ということ、いままで不確かだったことが「あっ、そういうことか!」と膝を叩かんばかりによく「分かる」ということ、そのような新しい発見や深い理解があってこその「たのしい授業」です。 「たのしい授業」には、さらに、それ以上のものがあります。 ☆この授業で、とても頭がよくなったよう気がします。 (加治木 2年 Sさん) 感動的に知り、分かることができる「たのしい授業」を良しと評価するだけではなく、そのような授業を受けた「自分自身も良し」と評価できる授業です。 ☆周りの生徒さんたちも、堂々と発言していたので、すばらしいと思いました。 (国分 2年) ☆いろんな人たちの考えを聞けてよかった。自分では想像もしなかったこともあって、そういう考えがあるんだぁ、と自分の考えの幅をふくらませることができました。 (加治木 2年) スバラシイのは自分だけではありません。発言した他の人も、自分の考えの幅をふくらませてくれた他の人もスバラシイと評価できるのは、「たのしい授業」ならではのことではないでしょうか。 「他の人」とのつながりはその場(教室)に居合わせた人にかぎりません。 板倉さんの発想法のひとつに「吹聴してわかるたのしい知識」というのがあります。 次に例示しますが、僕の授業を受けていない人にも教えてあげようというのです。 ☆〈発想を豊かにする〉ことわざ・格言では新しい発見ができた。今日の授業を受けていない人にも、このプリントを見せてあげたいと思います。 (鹿児島中央 2年) ☆「なのに」と「だから」は、他の友達にも教えてあげようと思う。 (伊集院 3年 Oさん) また本人自身のことにもどります。自身のこれからのことについても、たくさん感想がありました。 ☆ことわざ、楽しかったです。なるほど!と思うことがたくさんありました。もっともっと勉強したいと思いました。 (末吉 3年) ☆とても楽しく、複雑で、心が広がるような授業でした。こんな授業を受け続けることができたら、どんな考え方ができるようになるのか、興味を持ちました。 (奈良・橿原 3年 Nさん) ☆言葉を学べば学ぶほど、自分の視野を広げるきっかけを作れるんじゃないかなと思いました。 (鹿児島玉龍 3年 Nさん) ☆少し考え方を変えるだけで、いろんなことを理解することができるんだなぁって、ちょっと感動しました。いろんな考えができるような人になりたいです。 (喜界 2年) ☆自分の視野を広げ、いろいろな物事を考えられる人になりたいと思った。 (宮崎・小林 2年) ☆「なのに」と「だから」のように、言葉はプラス思考に生きるのに役立つ気がします。思考と言葉の深い結びつきを感じました。日本語を使いこなせば、もっとステキに生きることができるんだ、と思いました。 (加治木 2年) このように「もっと勉強したい」「心が広がる」「視野を広げる」「もっとステキに生きる」などと、スバラシイ感想をいっぱいもらいました。 あらためて、「たのしい授業」のすごさ、とでも言ったらよいのでしょうか。 「たのしい授業」の可能性は相当なものだと言わざるを得ません。 以上、鹿大オープンキャンパス2006「たのしい授業への招待」についての報告です。 この報告についても感想を寄せていただけましたら、とてもうれしいです。 |