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どちらに転んでもシメタ! 2004年10月 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)15周年記念誌 『登校拒否もひきこもりも明るい話』前書き 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)の世話人の一人として、この15周年記念誌の発行をとても嬉しく思います。 ここに、経過をごく簡単に、また私たちの会の基本的な考え方について、少しだけですが述べてみます。 鹿児島の親の会は1989年に始まりました。 その前年には「子どもの人権を守る鹿児島県連絡会」が旗揚げをしています。この連絡会の活動は、「なくせ!体罰・いじめ、やめさせよう!丸刈り強制」という標語にもあったように、学校生活における子どもの人権をとことん守ろうとしたものでした。 (連絡会はたくさんの成果をあげ、村方勝己君の知覧中いじめ自殺裁判も支援し、勝訴して2002年に解散しました。) 私たちは、連絡会の活動と並行して、月に一度、親の会の例会を開き支えあってきました。 登校拒否への誤解や偏見をただし、理解と共感を広げてきました。 6周年や8周年のときには、講演会を開催し、体験発表をするなどして、社会的にも鹿児島の親の会をアピールしました。5年前の1999年、10周年のときにはイベントをおこなうだけではなく、初めて記念誌『登校拒否は明るい時代の前ぶれ』を発行しました。 2002年には、霧島で「登校拒否を考える夏の全国合宿」を開催し、現地実行委員会としてこれを成功させました。 同年5月には、親・市民の会のインターネット・ホームページを開設しました。 以来2年半でアクセス数が25万件を超えています。全国各地から相談や共感・支持のメールもたくさん寄せられています。 15周年というと結構な年月です。 ものすごく長いわけではありませんが、けっして短い期間でもありません。 そこで、そうした年月にわたって活動を続けてこられたのは、会員や世話人・スタッフらの相当な努力や頑張りがあったからではないか、と思われる方がおられるかもしれません。 でも、その見方は当たっていません。 私たちは、登校拒否や引きこもりをマイナスに考えません。 これらは、子どもたちや若者が自分を大切にしているあらわれにほかならず、じつは明るい話なのです(詳しくは、私が書いたものがホームページにたくさん載っていますので、是非ご覧になってください)。 その考え方が基本にあるものですから、毎月の例会も、じつに明るい、たのしい雰囲気でおこなわれています。初めて参加された方が、「これが、登校拒否や引きこもりのわが子がいる親の集まり?!」と驚かれるほどなのです。 私たちの考え方からは、登校拒否や引きこもりは、親子が努力したり、頑張ったりして、どうにかしなければいけない課題とは見なされません。「明るい、たのしい」ことに頑張りは無用です。 会の運営に中心的にかかわってきた私たち世話人も、この間、頑張らなかった「のに」ではなく、頑張らなかった「から」こそ、会員も減ることなく着実に増え続け、会を楽しくやって来られたものと思っています。 ところが、専門家と言われる人であれ、一般の人であれ、多くの人々の考え方は違います。「登校拒否は困ったものだ。どうしよう? なんとかすることができないものか?」などと考えているのです。考えているだけでなく、いろいろと努力したり、頑張ったりしているのですが、うまくはいきません。 私たちの見方はそうではなく、いたって楽観的です。ズバリ「登校拒否は明るい」と初めて言ったのは、科学史・科学教育家の板倉聖宣さん(1930〜)です。 その板倉さんの発想法のひとつに「どちらに転んでもシメタ!」というのがあります。この発想法を登校拒否に当てはめると次のように言うこともできます。 子どもが元気に学校に通っているのであれば、それはそれで、もちろんOKです。 他方、学校に行けない・行かないことも、それはそれでまたスバラシイことなのです。 AとBの二つの選択肢があった場合、「絶対A(あるいはB)じゃないとだめだ!」ということはむしろ稀で、世の中のたいがいのことは両方ともOK、つまり「どちらに転んでもシメタ!」なのです。思わぬ変化が起こっても、そのことがマイナスとは限らず、よくよく考えると自分に都合のよいチャンスにもなっているのです。そのことへの気づきが大事なところです。 私は、会の発足当初から、登校拒否はその子が健全に成長していることの何よりの証だと言ってきました。 登校拒否の子どもは、子ども同士であれ大人とであれ、誰かと手を取りあって、また誰かに助けられて、学校に行かなくなったわけではありません。ときに行かせようとした大人たちに抵抗して、たった一人で登校拒否をしたのです(後から兄弟・姉妹が続くということはありますが)。 自分の意思をつらぬいている「強い、たくましい、わが子!」じゃありませんか。 わが子は健全に成長しているのですから、「子育てに問題があったのではないか?」などと親が悩むのもおかしな話です。 そういう子どもを育てた親もスバラシイ!のです。 だから、わが子が学校に行かなくなったことで、親は自分を責める必要はこれっぽっちもありません。 登校拒否は悪いことでないどころか、新しい立派な生き方のひとつなのですから。 ところが、普通そのようにはなかなか考えられません。 私は「登校拒否は明るい」と言っていますが、ものごとの両面をちゃんと見ることも大切です。 私は、厳密には「登校拒否は明るく、かつ暗い」と思っています。 ただし!です。私が「暗い」と言うのは、よくよく考えると「明るい」ことなのに、まだ多くの人が「暗い」こととしか見ていないところを指しています。 多くの親御さんは自分を責めることにとどまらず、子どもを責めます。 わが子が登校拒否になると、いろいろと行かせようとしたり、それが果たせなくなると家での勉強を強いたり、それもうまくはいきませんので、その他いっさいがっさい子どもの今、現在を否定してかかります。 口で言わなくても、親の態度や表情から、子どもにはよくわかります。 こうなってきたときこそ、親は責められてしかるべきなのです。 そうした親は子どもにとって最大の加害者です。 このような親の無理解からも子どもは自己否定を強め、自分の辛さ・苦しさを無意識のうちに表します。それが、家庭内での暴力や暴言、また拒食や過食、さらには深夜徘徊などの非行、そして引きこもりであったりします。 でも、そうなった場合でも心配はいりません。大丈夫です。子どもに限らず、人間は誰しもとても辛く苦しいときには、他からはちょっとおかしそうに見えるようにもなるものです。 しかし、それはけっして異常なことではなく、むしろ正常であることの証明です。 子どもの場合は、そのことがいっそう分かりやすく、見事といってもよいほどの法則的な反応としてあらわれます。子どもは「僕(私)の辛さ、苦しさをわかってくれ!」と無意識のうちに訴えているのですから、親はそれまでの自身のありようを見直していく絶好のチャンスなのです。 暴力があった場合、打たれるがままではいけませんし、非行も他に害をおよぼす場合がありますので、注意は必要です。 しかし、子どものほとんどの状態はそのままを認めてまったくかまいません(このあたりも、詳しくは私の論考をご覧になってください)。 「登校拒否が明るい」だけではありません。 私は、登校拒否に付随してあらわれてくることも「明るい」と言っています。 起こるべくして起こっていることで、それらは良い変化の兆しでもあります。 否定的に、またほかに仕様がないからと消極的に受けとめるのではなく、これらを親子がともども肯定的に積極的に受けとめることができたとき、たしかに変わっていくように思います。 引きこもりも、「たとえ10年、20年、引きこもったってかまわない! とことん引きこもる!」という受けとめ方ができたとき、その引きこもりは大きな力になります。 この15周年記念誌は、そのような考え方の確かさを実際に示していると思います。 計31人が寄稿した10周年記念誌もスバラシイものでしたが、今回はさらに多く計44人の会員、子どもたちが綴っています。 一人ひとりの貴重な体験や思いを記した文章は、もちろんその人ならではのものですが、それらに共通する法則的なことを読み取っていただきたいと思います。 登校拒否や引きこもりについて、多くの人は、子どもたちや若者の「将来」のことを心配しています。 でも、「将来」や「未来」は誰にとっても不確実ではないでしょうか。 不確実な未来のために、現在を犠牲にしてはいけません。 現在を否定しないで「今を大事に生きる」ことは、「将来」の「今」にも対処することができるもっとも確かな道ではないでしょうか。 この15周年記念誌は、初めは迷い悩みながらも、やがて登校拒否や引きこもりを自然なこととして肯定することができるようになった各人、各家族の記録です。 この記念誌の発行を前に、会員の方から少なからず「この間10周年だと思ったら、もう15周年ね。じゃあ、20周年もすぐね!」といった言葉をいただきました。 月日がたつのは早いもので、「今」を否定せず前向きに人生を生きていらっしゃる方の場合は、とくにそうだと思います。 私たちの会の将来も不確実ですが、言われてみると20周年もこの先すぐのように思えてきます。 「登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)」は、この記念誌の発行を機に、さらに明るく、元気にやって行くことと思います。 15周年記念誌を手にしてくださって、ありがとうございました。 |
最終更新 : 2012.4.28
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