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「なのに」と言ったら「だから」

2004年7月7日(水)2時限「たの授」についての記録と解説


板倉さんの発想法のひとつに、「なのに と言ったら だから」というのがあります。
板倉さんはこの発想法について、



これは、「〈なのに〉と言ったら〈だから〉と言い換えてみよ、何か新しい真理が見つかるかもしれない」という意味です。
 人々は気軽に「・・・なのに」という言葉を使いますが、この言葉は不用意に使うべきではないのです。
 「なのに」というときは、その背後に「本当はこうであるはずなのに」という大前提があります。




「それなのに、この場合はそれが当てはまらない」というときに使うわけです。
つまり「なのに」と言いたくなったときには、「前提になっている命題が当てはまらない事実が出てきた」ということなので、一度はその大前提の真否を疑うべきなのです。

(板倉聖宣「発想法かるた」仮説社、1992年、78ぺ)と説明しています。



 この発想法を理解し誰もが使いこなせるようにと、授業プランにまとめたのが千葉県で小学校の教員をしている村上道子さんです。
 村上さんは、京都の中田好則さんの「ナイフだから切れない」(「たのしい授業プラン・国語」仮説社、1988年、223〜226ぺ)を発展させ、四つの質問(と説明文)からなる授業プランを作成しました。
 (「“なのに”と言ったら“だから”─〈屁理屈のすすめ〉または〈論理学入門〉の授業プランと記録」(初出・仮説社「たのしい授業」1993年8月号、No.131、104〜124ペ。その後、村上道子「ことばの授業」仮説社、1996年、162〜182ぺに収録)



 この授業プランをそのまま大学でも、昨年から、数人から十数人のゼミ・演習で3度ほどおこなってきて、いずれも好評でしたので、今期(2004年度前期)は、出席者が300人近い大教室の授業でもおこないました(7月7日)。


このときの学生の5段階評価は、次の通りで大好評だったと言ってよいでしょう。


5 とてもたのしかった  101人
4 たのしかった     149人
3 どちらとも言えない   26人
2 つまらなかった     2人
1 まったくつまらなかった 0人


 そのとき書いてもらった授業感想文や「なのにと言ったらだから」の作品例を縮小コピーのうえ(B4両面)プリントにして、翌週配布しています。
そのなかから、いくつかここで紹介し、記録として残しておきたいと思います。



授業感想文より


☆今日の授業もすごく楽しかった。「なのに」と「だから」は全く違うものだから(なのに?)、こんな意味が違うものになるのだと思った。



★「なのに」→「だから」。とても面白い考え方だと思います。どんな言葉を入れても、たいてい「なるほどなあ・・・」と納得できます。おかげで、今日は90分、納得の嵐でした。
そういうふうに考えれば、人生も楽しくなると思います!!
最後にひとつ・・・、ムーミンのことです。
「カバなのに妖精。カバだから妖精」



☆今日の授業で納得した作品は、「男の子なのに泣く、男の子だから泣く」です。
男だって泣きたいし、泣きたいときに泣くのが一番です。
人間、喜怒哀楽が肝心です。



★今日の授業も、とても楽しかったです。「なのに」と「だから」という言葉で文章をつくるのはおもしろいでした。ちなみに、私が書いたのは、「好きなのに言えない」「好きだから言えない」でした。ちょっと恥ずかしかったのでインタビューされなくてよかったです!!


 でも、いろんな人の意見に共感しました。とくに印象深かったのは「友達なのに言えない」「友達だから言えない」でした。ものすごく、うん!!!!と思いました。
「なのに」を「だから」に変えることが、こんなにおもしろいことだったんだなと思いました。これから、身近なことで言いかえてみようと思います。
「不登校なのに戻った明るさ」の記事を読んで感動しました。これこそ、本当に「不登校だから戻った明るさ」だと思いました。


☆みんな発想力が豊かだなあ、と思いました。私の中で気に入っているのは、「美人なのに彼氏ができない」「美人だから彼氏ができない」です。
 あと「友達なのに言えない」「友達だから言えない」もいいな、と思いました。


これがどうしていじめ、不登校の問題とつながるのか疑問だったけど、「不登校なのに戻った明るさ」「不登校だから戻った明るさ」ってことですね!! なるほどって思いました。
では、自作を紹介します。
 「女の子なのに強い」「女の子だから強い」。浜口京子さん、頑張ってほしいデス(笑)。



★「なのに」と言ったら「だから」という言葉はとても深いものだと思いました。
「なのに」を「だから」に言い換えた文についても、理由を考えるのは面白かったけど、自分で考えるのは難しかったです。
(そこで)難しいのに面白い。難しいから面白い。



☆普段何気なく使っている「なのに」「だから」の文を深く考えてみたら楽しいなと思いました。「なのに」を「だから」に変えるだけで全く意味が異なるのです。
言葉って、おもしろいです。
「スキ」なのに素直になれない。。。
「スキ」だから素直になれない。。。?



★毎回思うけど、この講義に出ている人はみんな発想が豊かだなぁと思います。



 村上道子さんの授業プランの最後(質問4)には、「自分で〈・・・なのに〉を〈・・・だから〉に直した文を作ってみましょう」とあります。
これまで紹介してきた感想文のなかにも、すでにいくつか出てきていますが、学生諸君の発想の豊かさを示す「〈なのに〉と言ったら〈だから〉」の作品例を、さらにたくさん紹介したいと思います。


作品例より


○冬なのにアイスクリーム、冬だからアイスクリーム

●夏なのに寒い、夏だから寒い(クーラーのききすぎ)

○晴れているのに憂鬱、晴れているから憂鬱(もう焼けたくありません!)

●おなかがすいたのに食べない、おなかがすいたから食べない
(その心はダイエットです)

○大学生なのに勉強しない、大学生だから勉強しない

●たくさん寝たのに眠い、たくさん寝たから眠い

○近くにいるのに分からない、近くにいるから分からない
(親、友だちのありがたさとか)

●友だちなのにケンカ、友だちだからケンカ(だって、わかってほしいから)

○一人なのに楽しい、一人だから楽しい

●友だちが多いのに孤独、友だちが多いから孤独

○カッコイイのにモテない、カッコイイからモテない

●自分のことなのにわからない、自分のことだからわからない

○不機嫌なのに笑う、不機嫌だから笑う(ハナで笑う)

●本当なのに信じてもらえない、本当だから信じてもらえない

○教科書なのに学べない、教科書だから学べない

●「たの授」なのに頭をつかう、「たの授」だから頭をつかう

○授業なのに楽しい、授業だから楽しい(「たの授」のこと)

●「分からない」のに「おもしろい」、「分からない」から「おもしろい」

○校則が厳しいのに荒れている、校則が厳しいから荒れている

●あぶないことなのにする、あぶないことだからする

○議員なのに未納、議員だから未納

●小泉総理の息子なのに売れない、小泉総理の息子だから売れない

○政治家なのに悪いことをする、政治家だから悪いことをする

●人間なのに人間を殺す、人間だから人間を殺す

○正義なのに戦争をおこす、正義だから戦争をおこす

●金持ちなのにケチ、金持ちだからケチ

○史上最強打線なのに勝てない、史上最強打線だから勝てない



いかがでしょうか。なるほど、「〈なのに〉と言ったら〈だから〉」ではないでしょうか。


少し、この授業の進め方についても、記しておきます。


質問1と質問2の後に、「“ナイフで切れないもの”をさがしてみましょう」とあります(ナイフ「なのに」にではなく、ナイフ「だから」切れないものです)。


 どんどん言ってもらったらよいと思います。
「鉄」だとか「ダイヤモンド」とか「岩石」などと・・・「固いもの」がまず出てきます。
他の例も大体は出てきますが、出てこないときは「固いものだけでなく、固くないものだってナイフでは切れない、ということはないかなー?」などと言ってあげる。そうすると「水」(液体)とか「空気」(気体)が出てきます。さらに発展させて出てきてほしいことは、人間関係だってそうではないかということです。



 期の授業では、誰かが「人の絆!」と言って、大教室に一瞬「オッー」という感嘆の声が上がりました。
 小、中学生ですと「友情」といったこと、高校生や大学生になると「愛」といったことも出てきてよいように思います。そのように、人と人の信頼関係のようなことが例として上がってくると、この授業はいっそう興味深いものになると思います。



質問3は、「大きいから見えない」「明るいから見えない」は、どういうとき、どんな場合か?を聞いています。



村上さんの記録にあるように、地球は、大きい「のに」ではなく、大きすぎて、大きい「から」、私たちは地球にいるけど、地球まるごとは見えません。また、昼間の星は、明るいから見えません。



 大学生の答えには、「前の席の人が大きいから黒板が見えない」とか、「何十階もの大きなビルディングの入り口に立ったときの、そのビルの全容」といったものもありました。たしかにそれはそうです。あまりオモシロイ答えではありませんが(後者は「地球」の例を小さくしたもの)、質問に対して瞬時にいろいろと考えてくれたところがウレシイ!じゃありませんか。



 今期は、「大きいから見えない」ものとして、「ウチザワさんの器、度量」と答えた学生がいました。
 僕は授業中いつも、学生のどんな考え方も認めているものですから、そう思ったのかもしれません。
「器が大きい」というのは明らかに褒め言葉です(でも、それが「見えない」となると?)。
この答えはマイクには十分に入っていなくて、周辺の学生にしか聞こえていません。さすがに、僕がマイクで繰り返すことは憚れました。それゆえか、後で「たっちゃんなのにてれや、たっちゃんだからてれや」との作品もいただきました。



「明るいから見えない」の例としては、「明るさいっぱいのように見える人の辛さ、悲しみ」といったことも出てきます。



 よくできた授業プランは、相手が小学生であれ、大学生であれ、「たのしい授業」を確かに実施することを保障してくれます。
10年以上も前に、スバラシイ授業プランを作り、実施された村上道子さんに感謝します。



最後に、今期の授業の際に描いてくれたイラストもいくつか紹介します。
学生諸君にも感謝!!






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