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TOPページ → 内沢担当・教員免許状更新講習 → 「生きる力」を育む これからの学校教育 レジュメ(2015)




鹿児島大学が開設している教員免許状更新講習、
選択科目の一つ、内沢担当の「“生きる力”を育む これからの学校教育」
(2日間・計12時間)の要点・レジュメを紹介します。

現物はB5・4ページのプリントです。

字ばっかりで少し味気ないので、このHPでは一部太字にしたり、アクセントをつけました。
そこが特に大事というわけではありません。アクセントです。

大事といえば、どこも大事だと思っています。

ご覧になって、どの箇所でも、あるいは全体を通して、
「へぇ~、そんな見方・考え方があるのかな~」と関心を持ったり、
また実際場面で、選択肢の一つに加えていただけますと
大変うれしいです。

2015/6/3 内沢 達






(事前の講習案内、シラバスより)

「生きる力」を育むこれからの学校教育はどうあったらよいのか、実践的な講習をします。たのしい授業やたのしい生活指導の実際を多数例示して、子どもたちの意欲や自信を育てる教育のあり方を考えていきます。成熟してきた社会における教職の意義についても深めます。



鹿児島大学・教員免許状更新講習、選択科目

「“生きる力”を育むこれからの学校教育」
ジュメ

─ 2015年度 ─




担当:内沢 達 (ウチザワ タツシ、1947年北海道旭川市生まれ)
元鹿大教員、2012年3月定年退職、鹿児島市鴨池新町在住
Eメールアドレス:tachan5847✩yahoo.co.jp(✩印は@に変えてください)
ホームページ:http://tachan.sakura.ne.jp/(検索「内沢達」で簡単にアクセス)



 みんな自分が自分の主人公!/主人公として学び、「自分の教職人生を主人公として生きる」ことに役立ててほしい/「すべての人間は自由であり、自己自身の主人である」(ルソー)/教師だから、親だから、子ども(○年生、中○、高○)だから・・・「○○しなきゃいけない」とか「○○でなくちゃいけない」といったことはない/他に害をおよぼさなければ、誰もが「そのまま」「ありのまま」の自分でOK/各人が主人公として自分のありようを選びとっていく。自由とはそういうものではないか


 「生きる力」の核心は自信・意欲/子どもたちだけでなく、若者や大人(親、教師)も自信がない。どうしたら自信を持てるようになるか/発想の転換や一面的でない「ものの見方・考え方」ができるようになると今の自分を肯定でき、自信を持てる/ひとつだけではない、もうひとつの見方や全然別の見方ができるようになるとちがう/「自分の人生を主人公として生きる」ことに意欲的になれる


 誰もができる板倉聖宣さん(いたくらきよのぶ、「たのしい授業・仮説実験授業」の提唱者)の発想法/ちょうどいいのは俺の足/したくないことはせず・させず(その反対は「くだらぬ仕事は改善せず」)/ビリッかす向きを変えれば先頭に/うれしい馬鹿の一つ覚え/少しの知識が役に立ち/どちらに転んでもシメタ/つまらぬ自分 すてきな自分/「なのに」と言ったら「だから」/できないおかげでできもする/理想を掲げて妥協する/発言しない自由が自由の第一歩/いい加減はよい加減 など


 教育に関する「常識」は本当か?/「当たり前、当然!」と思われていることがじつはそうでない/考えちがいに気づき、思い込み(固定観念)から自由になる/たとえば不登校(登校拒否)。けっして暗い話題でない。子どもはもちろん、親も教師も誰も悪くない/子どもたちが「嫌なことは嫌!」と自己主張するようになって増えてきた/かつてと比べて、家庭や学校での子ども理解は進んでいる。ここ20~30年、日本の社会がことさらおかしくなったわけでもない/僕は不登校が増えてきた良い要因は多数あげられるが、悪い要因は一つもあげられない/学校や世間が主人公なら「子どもは学校に行って当然」だが、子どもが主人公なので、その「当たり前」はとてもおかしい/「学校がたのしい、自然に足が向く」ときはもちろんOKだが、「学校がおもしろくない、足取りも重い」ときは無理をして行ってはいけない/自分の気持ちに正直に、自分の気持ちを第一に考え、「行きたくないときや行く必要を感じないとき」は休む。休み続ける/不登校は子どもの成長を促す。「自分の人生を主人公としての生きていく」ことを意識する絶好のチャンス


5 「勉強論」① 一生懸命熱心に勉強をする子はよい子! 勉強しない子はよくない子?(と聞かれたら「本音」はどう?)/僕は「興味・関心を持てない勉強はしない」という子はすばらしいと思う/興味があろうがなかろうが習慣で勉強するのは感心できない/自分が主人公なら興味を持てることは一所懸命やっても、そうでないことはしないというのは、至極当たり前ではないか/学校や勉強が主人公ではない/主人公でないものに自分をあわせると成績は上がるかもしれない/けれど自分に自信がなく、主体的な学びに意欲的でない/「優秀な」大学生しかり。ほとんど勉強をしない。小・中・高と一生懸命勉強をしてきた(させられてきた)結果だ/そんな勉強って、いったいなんだ。絵本作家・五味太郎著『勉強しなければだいじょうぶ』(2010年、朝日新聞出版)はタイトルから刺激的だ/本文・中見出しには「勉強なんかしている場合じゃない!」(「遊んでる場合じゃない!」ではない)ともある/では、「する」に値する勉強とは? いまの時代に必要な勉強はどういうものか?/各人が主人公として答えを用意してよいときではないか


6 「勉強論」② 嫌いじゃない>好き>できる/「私は、たいていのことは知らなくたっていいと思っています。ただ、"自分で必要と思えるようなことは何時でも学び直すことができるような意欲と自信を高めるような教育をすること──そういう教育をすることこそが、もっとも高い学力の教育というものではなかろうか"と思うんです」(板倉聖宣)/変化の激しい時代、今とこれからを生きていくうえで大事なのは、意欲と自信だ。たくさんのことを知っているとか、学校の成績がよいといったことはほとんどあてにならない/もちろん成績がよい、勉強が「できる」こともいい。けれど、「できる」よりも学ぶことが「好き」のほうがはるかに大事。意欲や自信につながるからだ/そして「好き」よりも、消極的と思われるかもしれないが「嫌いじゃない」が大切だ/いっぺんに好きにはならない。たいがい「嫌いじゃない」という時期を経て、学ぶことが「好き」になっていく/「ものを読むことが徹底的に嫌いになってしまったら、読めたとしてもなんの役にたつだろう。かれがまだ好きになれない学問を嫌悪すべきものと思わせないように、とくに気をつけなければなるまい」(ルソー)


 ちがう素晴らしさ、おなじ素晴らしさ/金子みすゞ「すずと小鳥とそれからわたし、みんなちがって、みんないい」、内沢 達「みんなちがって、みんなおなじ、人間っていい」/「うちの子はちがうんです!」いいえ、みんな同じ、法則的です/昨年25周年、四半世紀を経過した「登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)」の教訓/「人の話はわが話。わが話はみんなの話」「解決の道は自分のなかにある」など/板倉聖宣「イコールは等しくもあり、等しくもなし」/「ちがうものが同じで(A=B)、同じものがちがう(A=A≠A)」という見方が自分の世界を広げてくれる/「学校=牛乳」がどうして成り立つ?/セブン・イレブンの禁句は「顧客の〇〇〇」/『星の王子様』「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし・・・」 続く言葉は?/経済(商売)の話は教育にも通じる。「学校=デパート」が成り立つのはどうして?


 親や教師への反抗は期待の裏返し。子どもが反抗的になって大人を困らせるのは、無意識に「この人だったら、わかってくれるはず」といった期待があるから/反抗する子どもも、される大人も悪くない。両者の関係、なかなかイイ線を行っている/とても辛いことだってじつは明るい/子どもにさせていけないことや子どもにしてほしくないことは妨げるだけでいい/小さい子どもにどうしていけないことなのか、教えさとす必要はない。それは誰であれできることではない/道理はそのうちわかるようになる。何歳(○年生)くらいまでに、といった期限はない/教育はむずかしくない、特別なことではない/「むずかしい」と思っているのは「人間を変えよう」としているから/「人間を変える」なんて、むずかしいどころか恐ろしいことで、してはいけないことではないか/「子どもたちをどう育てるか、どう導くかなんて考えないで、いっしょに暮せばいい」(五味太郎)/親であれ教師であれ「この時間を、今日一日を(今週を、今学期を)、どうしたら子どもたちといっしょに気持ちよく過ごすことができるか」を考えれば、答えはむずかしくない


 子どもとのかかわり方は「ないないづくし」/鹿児島の親の会の3原則(子どもの状態を異常視しない、言いなりにならない、腫れもの扱いしない)ほか、子どもの辛さに手を貸さない、その子を特別扱いしない など/子どものことは子どもにまかせる。それができずに親や教師がいろいろしてしまうことは、子どもを信用、信頼していない/大人が「しない」でいられたら、子どもへの信頼も本物だ/子どもに限らず自分が他から信頼されていることを快く思わない人間はいない/子どもも大人も「しない」自分を認められるようになって、やがて自然に「する」ようになる/人間誰しも、自分がしたいことや必要と感じたことは、自らの意思でやり始める


10 いじめは人権侵害(各人の「そのまま」「ありのまま」を認めないのがいじめだ)/「思いやり」の欠如ではない(思いやった結果がいじめであることも少なくない)/他人を害さない人間のありようすべてに価値がある/この見方がないといじめに有効に対処できない(簡単に「いじめられる子にも問題がある」という見方になってしまう)/「三十六計 逃げるにしかず」(孫子)/「逃げて安全と安心を確保する」ことを教えるのが一番の急務/三陸の教え「津波(命)てんでんこ」から学ぶ/知覧中(1996)、坂元中(1995)、米ノ津中・武中(1994)……村方勝己君らは不登校の選択肢を知らずに(不登校を拒絶され)命を絶った/大河内清輝君(西尾市東部中、1994)も鹿川裕史君(中野区富士見中、1986)もそうだった/2010年10月23日、群馬県桐生市小6・上村明子さんは「学校に行くくらいなら死んだほうがまし」と言って亡くなった/堂々と不登校することは「いじめ自殺」からの生還である/命を守ることが最優先事項。「いじめられたら欠席を」。1996年7月、文部省は「緊急避難として欠席が弾力的に認められてよい」と通知し、今も有効/生活指導には軽重がある。優先順位を逆にしてはいけない/生活指導は「いい加減」がよい。理想を掲げて妥協する


11 「自分に親切になる」「自分自身のかけがえのない友になる」(アラン)/「人間は自分自身以外に敵はほとんどいない」「最大の敵はつねに自分自身である」(アラン)/自分が自分を苦しめてはいけない/「他人の評価の影」(自分が勝手に描いた他人の評価)におびえない(板倉聖宣)/「ダメな自分」も認められるようになると元気になる/「ダメ」を認められるようになるともう「ダメ」じゃない/どんな自分もかけがえのない自分/自分を認められるようにならないと、本当のところ他者も認められない


12 自分を一番大切にする/「わがまま」や「自分本位」がとても大事/夏目漱石『私の個人主義』(大正3年・1914年、学習院での講演)より。「私は自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました」(それまでは「他人本位」だった)「そのとき私の不安は全く消えました」「私は多年のおうのうとした結果ようやく自分のつるはしをがちりと鉱脈に掘り当てたような気がした」「自己が主で、他は賓(ひん、この場合は「賓客・来賓」のような良い意味ではなく「そえもの」の意)であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました」/自分が「わがまま」になってこそ、相手の「わがまま」もわかり、本当のところ他者を認め尊重できる/自分の気持ちや考え方をいつも一番大事にする/けれど、それを人に押しつけない/押しつけは「された」人にとって嫌であるだけなく、「した」本人にもよくない/いいこと「なのに」ではなく、いいこと「だから」けっして押しつけない/自分のために相手の立場で考え、相手の気持ちや行動を尊重する


13 自分のことに一所懸命になる/他人のことに一生懸命になるのは大概おせっかいで嫌われる/いつも気持ちよくありたい。自分のありようは「自分が自分の主人公!」、自分次第だ(他人は他人で、主人公として自分のことに一所懸命になる)/遠慮はいらない。自分がまっ先に幸せになったらいい/「一人の百歩が百人の百歩」(板倉聖宣)/「われわれが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである」(アラン)/鹿児島の親の会では「不登校・引きこもりのわが子に感謝したい」という親御さんが大勢。「初めは困った問題と思ったけど、ちがった」「わが子のおかげで大事なことに気づけた。自分を大切にするようになり、毎日がたのしい」/親が生き生き、元気にしている。家庭での子どもたちへの何よりの応援だ/子どもは親や教師の笑顔を望んでいる/教師は自身の仕事=教職をもっと楽しんだらいい/「たのしい授業」は子どもだけでなく教師も笑顔にする/「先生が教室で一番楽しそう!」 生徒からの一番の「ほめ言葉」ではないか/「たのしい授業」が意欲や自信を育てる/「たのしい授業」は真似すると誰にでもできる。「まねも主体性のうち」(板倉聖宣)/「みんなしているから私も・・・」というのは主体的でない。まだ世間で認められていなくても、自分が「まねするに値する」と思うものを一所懸命まねしながら(学びながら)やっていく/教職を楽しめるよう出費を惜しまない(「ツンドク」のススメなど)


14  「実験」精神が重要。〈自分の立てた予想や仮説〉の当否を検証する行為すべてが実験だ。(板倉聖宣)/誰かが言った、勧めたからではなく、主人公として自分がしたい、しようと思ったことに予想を立てて取り組む/結果、たとえまわりは何ひとつ変化していないようでも、自分が気持ちよくなっていたらOK。続けていく/そうならなければ(一度ならず二度三度もならばいっそう)、自分のためになっていないことは明らか。予想の変え時だ/予想を立てたのが自分なら、予想を変えるのも自分/予想変更は裏切りでなく、自分の進歩に飛躍をもたらす/いつも予想を立て、実験(実践)しながら確かめていく(板倉聖宣)/「こう思う」自分も「こう思わない」自分も、どちらも自分にちがいない。「二人の自分」を(「もう一人の自分」も)認め、大事にしていくときも同じ/予想を立てて取り組む。自分が気持ちよく、笑顔や元気になっていくもっとも確かな道すじではないか。(了)






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初出 : 2015.6.2  最終更新:2016.3.28

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