「たの研」内沢達のホームページ
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   2005年秋・トモちゃんの書き込み(掲示板過去ログ抜粋)   TOPページはこちら → 



No.261
2005年10月07日 22:02
送信者:内沢朋子 < >
表題:ご心配おかけしてます。


9月30日、急に倒れて、生協病院にかつぎこまれ、
はじめて、カテーテル検査を行いました。
本人が「死ぬほど痛かった・・・」という検査の結果、
心臓を取り巻く、3本の大きな血管(といっても3ミリくらい)が、根元のほうが90l以上狭窄状態で、それが他にもあわせて10箇所以上あることが判明しました。
「髪の毛の細さしかないですね。これは手術しかない」と医者。

いろいろ他の検査もした結果、
手術をすることにしました。

10月11日に鹿児島大学付属病院で手術を行います。

あとは、結果を待つのみ、です。

今は、本人は、血管拡張剤のせいで、ボーっとしていて、
でも、「かいかいしく」世話をするともちゃんに、憎まれ口をたたくほど、状態は改善しています。

この間、多くの方々に大変ご心配をおかけし、
また、多くの方に支えていただきました。

鹿児島生協病院の循環器で有名なドクター先生、看護士さん、病院のスタッフの皆さん、優しくしてくれてありがとう。

子どもたちも、遠い大阪から、タイから心配してくれています。

退院したら、生活改善を見直して、夫婦ふたり支えあい、仲良く二人三脚で楽しく生きていきます。

手術の成功を祈っていてください。



No.281
2005年10月18日 20:24
送信者:内沢朋子 < >
表題:たっちゃんが心筋梗塞で緊急手術(その2)


私の最愛の夫、達が心筋梗塞で倒れました。
10月10日、鹿児島大学付属病院に転院、
すぐ、エコーをとって、心臓の動きが非常に悪くなっていると診断されました。
すぐに、心臓の動きを安定させるための緊急手術を開始しました。
IABPといって、心臓に血液を送り出し、保護するためのバルーンを入れる手術です。
(あとで、「この処置をしていなかったら、持たなかった」とドクターの説明)

達は、9月30日に心筋梗塞になって、その後、2回、10日間の間に計3回心筋梗塞になり、
最後は不整脈を起こし、心不全状態になっていたのだそうです。
心臓がほとんど働かなくなった結果、
腎臓の機能もストップして、体中に水分がまわりそれも加わって危篤状態でした。

病名は、「不安定狭心症、急性心筋梗塞」です。

翌11日に手術できるかどうか?・・・
「心臓の状態が悪いときは延期」と言われました。
結果が出るまでの長かったこと・・・。
ようやく、「手術できるでしょう」と言われて、ICU(集中治療室)にいるたっちゃんに面会できました。
「ご心配ですね」と看護師長さんに言葉をかけられて、はりつめた気持ちがくずれ、涙がとめどなくあふれました。
「泣くのは仕方ないね。こんな大きな手術なんだから。あなたの泣く気持ちもわかる・・・」とたっちゃんに逆に慰められて・・・。(しかし、後から聞くと本人は私に会ったことも覚えていない)

たっちゃん、私はあなたの生きる力を信じます。
中学のとき、盲腸の手術しかしなかった丈夫な体だもの、
必ず、生きて還ってくることを信じます。
そして、またふたりで幸せに暮らそうね。
あなたがどれだけ私にとって、かけがえのない存在なのか、きっと神様もわかってくださる・・・。そう祈り続けました。

10時間に及ぶ手術でした。
親の会の世話人の川島さん、木藤さん、笑さんと一緒に、夕方には遠く旭川から達の母と姉もかけつけました。
たっちゃんの母が、「人には寿命がある。達は必ず生きて還ってくるよ」と言ってくれる。その言葉を心から信じることができました。

私の母が、10月6日、94歳の天寿を全うしました。
「母さん、お葬式に行けなくてごめんね。たっちゃんを見守っていてね」と祈りました。
亡くなった人は、生きている家族の苦しみを全部持っていってくれるといいます。

午後8時、手術が終わりました。
面会を許されました。麻酔が効いていて、お話はできませんでしたが、
確かに呼吸している我が夫の姿がありました。
全身むくんで顔も変わっているけれどあたたかい体でした。
「がんばったね、えらかったね。」あとは言葉がありません。
力が抜けて、その場にしゃがみこみました。

お二人のドクターがていねいに説明してくださいました。
まずは無事終わったこと、
最善の努力をしたこと、
血管が思った以上にひどい状態だったので、時間を要したこと、
手術前の状態が重かったので、今後もひとつひとつ山を乗り越えていきましょう。
あとは、本人の生きる力を信じるのみです。

説明を聞きながら、おふたりのドクターをはじめ、多くの病院のスタッフの皆様に助けられたと心から感謝の気持ちがあふれます。
翌早朝、病院で一夜を明かした私に、「一番心配していた最初の難関、脳梗塞の危険はないですよ、麻酔もだんだん目覚めてきています。一山越えましたね」。
やさしく声をかけてくれたドクターの手を、気がつけば握り締めて、ただただ涙がとめどなくあふれていました。

「手術前がひどかっただけに、なかなか人よりは遅いですよ」と言われたとおり、
ICUから病室に還ってくるのに時間がかかりました。
15日やっとICUから還ってきた患者が入るTCU(回復室みたいなところ)に。
翌16日大阪からかけつけた息子に会えてうれしそう。なによりの元気をもらいました。

いま、回復室から、4人部屋に移動、よたよたでも歩けるようになって、
17日は補助つきですが、1階の売店まで行けるまでにまでになりました。
18日には補助なしで歩けるまでになっています。
本当に回復が早くて、ありがたいという思いでいっぱいです。

まだまだ、心臓肥大などの危険因子も抱えていますが、それも本人の生きる力によるとのこと。
充分な休養が必要です。
来週25日は、また、たっちゃんの嫌いな「カテーテル検査」があります。
造影剤を入れて、心臓の動きなどを見る検査です。
一山、ふた山をひとつずつ越えてきています。

それでも、生きて還ってきた・・・!
それだけで、いい!
命がどれだけ大切か、命以外に大切なものはない、
そのことを心から感じ、体験した大切な事件でした。

確かに、たっちゃんの命は、母が言ったように、強い寿命がありました。
これからも強く生きていけるでしょう。
はじめはゆっくり養生しながら、命を大切にしながらふたり仲良く生きていきます。

多くの皆様の励ましがどれだけ私たちの心の支えだったかしれません。
鹿児島大学付属病院のドクターをはじめ、多くのスタッフの皆様のやさしさがどれだけ支えになっているか計り知れません。
多くの皆様に助けられて、今日の命があることを感謝します。

本当にありがとうございます。

内沢朋子



No.286
2005年10月21日 07:57
送信者:内沢朋子 < >
表題:たっちゃんが心筋梗塞で緊急手術(その3)


三昼夜
バイパス手術に意識なく
氷のしずくに
命たしかめる      内沢 達


集中治療室にいた時、寝返りすら打てない苦しさを表現したのでしょう。
「いい句ができたじゃない」と私。
「文才のないオレが苦心したんだよ」と得意そうなたっちゃん。

昨日は、二人で病院の庭をゆっくりと散策しました。
10月も半ばを過ぎたとはおもえない、汗ばむほどの暑さです。
青い空の美しさ、桜島の山肌もくっきりとその美しさを見せていました。
台風で散った落ち葉が歩くたびに、サクサク、がさがさ、こそこそ・・・といろんな音をたてます。
「葉っぱはこんなにきれいな音をたてるんだね。きもちいいね・・・」という夫の言葉に、
こうして歩けることに、生きて還ってきたことに、感謝の気持ちがあふれていました。


No.293
2005年10月25日 21:18
送信者:内沢朋子 < >
表題:たっちゃんが退院!


今日、心臓のバイパス手術の結果、ちゃんと血管が働いているかどうかをみる
最後の大事な検査、カテーテル検査が行われました。
朝、8時半から1時間半。

当日にむけて、床屋に行って、気合を入れています。
しかし、昨日は本人もナーバスになって、ちょっとしたことにもいらいらしたり・・・
(大人も子どももおんなじだよね。一番愛する人に不安をぶつけて甘えたいのかも)
でも、大きな心で包んであげよう・・
大きな命がけの大事件の「判決」が下されるんだもの。

朝、8時に病院に行って、準備に備えました。
カテーテル検査の行われるところは、やっぱりピンと張り詰めていました。
入口でハイタッチして見送ります。

待つこと1時間半。
病室に帰ってきて、「良かった」と言ってあとは言葉になりません。
「バイパスは成功してますよ」
「非常にいい状態ですよ」
「ちゃんと血管が通っていますよ」と検査中に言ってくださったとか。
たっちゃんが私を見て、激しく泣きました。もちろん私だって・・・。
私はそっと我が夫に祝福のくちづけをしました。
今度の涙は喜びの涙だよね。
あなたの命の力に心から感謝します。

「これからは、養生して、心臓を育ててくださいね」主治医の言葉に、感謝の言葉が見つかりませんでした。
ありがとう、病院のみなさま、
ありがとう、私たちを支えてくださった多くのみなさま。

そして、私の肩をそっと抱いてくれた我が息子耕平、
毎日、タイの仏像に手を合わせて祈ってくれた玲子、
達の母、姉妹、親戚のみなさん、
私の母の葬式も、心配しないでと言ってくれた私の姉たち、
ありがとう・・・。

私たちはこうしてみなさまに支えられて
かけがえのない命という大きな幸せを確かめることができました。

これからも、ふたり仲良く命を大切にして生きていきます。
それが、みなさまのご恩に報いる唯一の方法だから。

我が夫 達はあさって10月27日退院します。





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最終更新 : 2012.5.2
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