TOPページ → 教育原理、いじめ、たのしい「生活指導」 → 講演メモ「みんな自分が自分の主人公」
下記のメモをもとにおこなった講演について 親の会・2月例会で話しました。 「いつも自分を一番大切にする」はこちら → です あわせてご覧ください。 2014年2月8日 講演メモ 内沢 達 (現物はB 5 ・ 4ページです) みんな自分が自分の主人公 ─ これからの教育を考える ─ @ 大人も子どもも、親も教職員も生徒も「みんな自分が自分の主人公!」ではないか。 自分の主人は自分自身以外にいない! ならば「自分の人生を主人公として生きる」「主人公として学ぶ」ことをもっと意識してよいのではないか A 親だから、教師だから、子ども(○年生、中○、高○)だから‥‥‥ 「○○しなきゃいけない」とか「○○でなくちゃいけない」といったことはない。 他に害をあたえなければ、みんな「そのまま」の自分でかまわないし、さらに 各人が主人公として自分のありようを選びとっていく、それが自由というものではないか B 発想の転換や一面的でない「ものの見方・考え方」が自分に自信をあたえ、自分が「自分の人生を主人公として生きる」ことを応援してくれる C 誰もができる板倉聖宣(いたくらきよのぶ、「たのしい授業・仮説実験授業」の提唱者)さんの発想法 発言しない自由が自由の第一歩/いい加減はよい加減/どちらに転んでもシメタ/「なのに」と言ったら「だから」/できないおかげでできもする/ビリッかす向きを変えれば先頭に/少しの知識が役に立ち/うれしい馬鹿の一つ覚え/したくないことはせず・させず(その反対は「くだらぬ仕事は改善せず」)/理想を掲げて妥協する など D 教育に関する常識は本当か? 当たり前、当然のことか? 考えちがいに気づき、思いこみ(先入観、固定観念)から自由になる E 不登校(登校拒否)は暗い話ではなく、じつは明るい話 子どもはもちろん、親も教師も誰も悪くない/子どもたちが「嫌なことは嫌!」と自己主張するようになり増えてきた/かつてと比べて、家庭や学校での子ども理解は明らかに進んでいる。ここ10〜20年の間に日本の社会がことさらおかしくなったわけでもない/僕は不登校が増えてきた良い変化要因は多数あげられるが、悪い要因は一つもあげられない/主人公が学校や世間なら、「子どもは学校に行って当然」だが、主人公は子どもなので、その「当たり前」はじつはとてもおかしい/「学校がたのしい、自然に足が向く」ときはもちろん問題ないが、「学校が苦痛、足取りも重い」ときは無理をして行ってはいけない/自分の気持ちに正直に、自分の気持ちを第一に考えて、「行きたくないときや行く必要を感じないとき」は学校を欠席し、休み続けたらいい/不登校は子どもの成長を促し、主人公としての生き方も教えてくれる F 「勉強論」1 一生懸命熱心に勉強をする子はよい子か? しない子はよくない子か?(と聞かれたら、「本音」はどう?)/僕は「興味・関心を持てない勉強はしない」という子はすばらしいと思う/興味があろうがなかろうが習慣で勉強する子は感心できない/自分が主人公なら興味を持てることは一所懸命やっても、そうでないことはしない。至極当たり前ではないか/学校や勉強が主人公ではない/主人公でないものに自分をあわせると成績は確かに上がる/けれど自分に自信がなく、主体的な学びに意欲的とは言えない/優秀な「鹿大生」もしかり。学生はほとんど勉強をしない/小・中・高と一生懸命勉強をしてきた(させられてきた)結果だ/そんな勉強って、いったいなんだ/絵本作家・五味太郎著『勉強しなければだいじょうぶ』(2010年、朝日新聞出版)はタイトルから刺激的だ/本文・中見出しには「勉強なんかしている場合じゃない!」(「遊んでる場合じゃない!」ではない)ともある/では、「する」に値する勉強とは? いまの時代に必要な勉強はどういうものか?/各人が主人公として答えを用意してよいときではないか G 親(教師)への反抗は期待の裏返し 子どもが反抗的になって親や教師を困らせるのは、その人に「この人だったら、わかってくれるはず」といった期待があるからだ/反抗する子どもも、される大人も悪くない。両者の関係、じつはなかなかイイ線を行っている/とても辛いことだってじつは明るい/大人も子どもも今の自分を肯定できるようになると違ってくる。好転してくる H 内沢達は、金子みすゞを超えた!? 金子みすゞ「すずと小鳥とそれからわたし、みんなちがって、みんないい」 内沢 達 「みんなちがって、みんなおなじ、人間っていい」 I まもなく四半世紀、25周年になる鹿児島の親の会の教訓 ・人の話はわが話、わが話はみんなの話 ・解決の道は自分のなかにある ・「しない」と「する」ようになる ・「心配」しないで「信頼」する ・「ダメな自分」も認められるようになると元気になる ・「ダメ」を認められるようになるともう「ダメ」じゃない ・一人称でいつも自分自身について話す J 子どもとのかかわり方は「ないないづくし」 鹿児島の親の会の3原則(子どもの状態を異常視しない、言いなりにならない、腫れもの扱いしない)ほか、子どもの辛さに手を貸さない、その子を特別扱いしない など/子どものことは子どもにまかせる。それができずに親や教師がいろいろしてしまうことは、なんと言おうとも、子どもを信用、信頼していない/大人が「しない」でいられたら、子どもへの信頼も本物だ/子どもに限らず自分が他から信頼されていることを快く思わない人間はいない/子どもも大人も「しない」自分を認められるようになって、やがて自然に「する」ようになる/人間誰しも、自分がしたいことや必要と感じたことは、自らの意思でやり始める K 子どもにさせていけないことや子どもにしてほしくないことは妨げるだけでいい 小さい子どもにどうしていけないことなのか、教えさとす必要はない。それは誰であれできることではない/道理はそのうちわかるようになる。何歳(○年生)までに、といった期限はない/教育はむずかしくない、特別なことではない/「人が人を変える」なんて、難しいどころか恐ろしいことで、してはいけないことではないか/「子どもたちをどう育てるか、どう導くかなんて考えないで、いっしょに暮せばいい」(五味太郎)/親であれ教師であれ「この時間を、今日一日を(今週を、今学期を)、どうしたら子どもといっしょに気持ちよく過ごすことができるか」を考えれば、答えはむずかしくない L 「勉強論」2 嫌いじゃない>好き>できる 「私は、たいていのことは知らなくたっていいと思っています。ただ、"自分で必要と思えるようなことは何時でも学び直すことができるような意欲と自信を高めるような教育をすること──そういう教育をすることこそが、もっとも高い学力の教育というものではなかろうか"と思うんです」(板倉聖宣)/変化の激しい時代、今とこれからを生きていくうえで大事なのは、意欲と自信だ。たくさんのことを知っているとか、学校の成績がよいといったことはほとんどあてにならない/もちろん成績がよい、勉強が「できる」こともいい。けれど、「できる」よりも学ぶことが「好き」のほうがはるかに大事。意欲や自信につながるからだ/そして「好き」よりも、消極的と思われるかもしれないが「嫌いじゃない」が大切だ/いっぺんには好きにならない。たいがい「嫌いじゃない」という長い期間を経て、学ぶことが「好き」になっていく/「ものを読むことが徹底的に嫌いになってしまったら、読めたとしてもなんの役にたつだろう。かれがまだ好きになれない学問を嫌悪すべきものと思わせないように、とくに気をつけなければなるまい」(ルソー) M いじめは人権侵害(各人の「そのまま」を認めないのがいじめだ) 「思いやり」の欠如ではない(思いやった結果がいじめであることも少なくない)/他人を害さない人間のありようすべてに価値がある/この見方がないといじめに有効に対処できない(簡単に「いじめられる子にも問題がある」という見方になってしまう)/「三十六計 逃げるにしかず」(孫子)/「逃げて安全と安心を確保する」ことを教えるのが一番の急務/「津波(命)てんでんこ」から学ぶ/知覧中(1996)、坂元中(1995)、米ノ津中・武中(1994)……村方勝己君らは不登校の選択肢を知らずに(拒絶され)命を絶った/大河内清輝君(西尾市東部中、1994)も鹿川裕史君(中野区富士見中、1986)もそうだった/2010年10月23日、群馬県桐生市小6・上村明子さんは「学校に行くくらいなら死んだほうがまし」と言って亡くなった/堂々と不登校することは「いじめ自殺」からの生還である/「いじめられたら欠席を」。命を守ることを最優先する、安全・安心の確保、当たり前のことだ/1996年7月、文部省は「緊急避難として欠席が弾力的に認められてよい」と通知した N 「自分自身のかけがいのない友になる」(アラン) 人間は自分自身以外に敵はほとんどいない(アラン)/自分が自分を苦しめてはいけない/「他人の評価の影」(自分が勝手に描いた他人の評価)におびえない(板倉聖宣)/「ダメな自分」も認める/こう思う・こう思わない「二人の自分」を(「もう一人の自分」も)認める O 自分を一番大切にするとうまくいく 「わがまま」が肝心!/自分のことは自分のことなので「自己本位」に考え「わがまま」に行動する。そうしてこそ道が切り開かれる/夏目漱石『私の個人主義』(大正3・1914年、学習院での講演)より/「私は自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました」(それまでは「他人本位」だった)「そのとき私の不安は全く消えました」「私は多年の懊悩(おうのう)とした結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がした」「自己が主で、他は賓(ひん、この場合は「賓客・来賓」のような良い意味ではなく「そえもの」の意)であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました」/自分が「わがまま」になってこそ、相手の「わがまま」もわかり、本当のところ他者を認め尊重できる/自分の気持ちや考え方をいつも一番大事にする/けれど、それを人に押しつけない/押しつけは「された」人にとって嫌であるだけなく、「した」本人にもとてもよくない/いいこと「なのに」押しつけない、いいこと「だから」押しつけない P 大人であれ子どもであれ、みんな自分自身のことに一所懸命になる 他人についてはどうこうできないだけでなく、そもそもしてはならないが、自身については「自分が自分の主人公!」、自分次第だ(他人は他人で自分が主人公として自身のことに取り組む)/遠慮はいらない。自分がまっ先に幸せになったらいい/「われわれが自分を(が)愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである」(アラン)/鹿児島の親の会は「不登校・引きこもりのわが子に感謝している」という親御さんが大勢/「初めは子どもの問題と思ったけど、違った」「わが子のおかげで自分を大切にするようになり、毎日がたのしい」/親が生き生きと元気にしている。子どもへの何よりの応援だ/教師は子どもを変えようとしない/自身の仕事=教職を楽しんだらいい/「たのしい授業」は子どもだけでなく教師も笑顔にする/「先生が教室で一番楽しそう!」 生徒からの一番の「ほめ言葉」ではないか/「たのしい授業」は真似れば誰でもできる Q 予想を立てて取り組む 誰かが言った・勧めたからではなく、主人公なら、自分の予想を立てた取り組みが大切/取り組んでみて、まわりは何も変わっていないようでも、自分の気持ちが楽に自然になっていたらOK。続けたらいい/(一度ならず二度三度も)そうでなければ、予想を変える/予想を立てたのが自分なら、予想を変えるのも自分/予想変更は裏切りでない。予想変更は自分の進歩に飛躍をもたらす。予想を立て実験(実践)して確かめて行く(板倉聖宣) |